Arduino
  VB2013でAruduinoを制御してみました。TUSBのようにソフトが付属してませんので
 SerialPortを使って簡単なコマンドを作る必要があります。それをCWBoardKK10のコードの中に入れれば、TUSBと同じ働きをさせる事が出来ます。
  下の写真はポート13番に出力してLEDを光らせたところです。これだけ出来れば、もう電信送信機を作る事が可能です。

 

碁会所再訪
 先日、碁会所に久しぶりに行ってみました。散歩コースの途中にあるのですが、打つ気が起こらず、もう十年近く行っていませんでした。その日はふと寄ってみる気になりました。嘗ての碁敵が居ることを期待して行きましたが、もう知らない人ばかりでした。
 暫く行かない内に長い年月があっという間に過ぎてしまったようです。とりあえず空いてる人と打ってみましたが、その人は82歳の方でした。運動を兼ねて碁会所に毎日通うのを日課にしてるとのことでした。他の方達も皆、相当の高齢者ばかりで、今は若い人が碁会所に来ることはなさそうです。
 白髪ばかり中で私だけが黒に染めた頭をしていました。何か寂しい思いで碁会所を後にしました。もう来ることは無いかも知れないと思いました。

山と湖と温泉の群馬
 周り中、山脈が連なる群馬に住んでいると、余り山の有り難みが分からないが、一枚の写真は群馬の美しさを教えてくれる。

高齢化と少子化
 此処一年間で交信した相手の一番若い年齢は58歳でした。50年前に開局した時、相手は殆ど高校生か大学生、社会人も30代半ば位の人達が殆どでした。最高齢は84歳。随分と様変わりしたものです。
 このままでは技術大国日本は崩壊してしまうのではと心配です。メーカーで再教育するにしても理工系を目指す若者が減ってしまってはどうにもなりません。最近は給料の良い外資系の金融か、医学部にばかり優秀な若者が行ってしまいます。どうにかならないものでしょうか。それにしても医学部偏重は行き過ぎの感があります。
 今後の日本はこの高齢化と少子化で大問題を迎えることになるのではないでしょうか。

最近の老人
 今朝の新聞を見ると、最近の老人は昔の老人よりも10歳位若いとありました。いや、嬉しいことです。
 確かに昔の老人を思い出してみると、50歳位でも、もう老人の様相がありました。しかし、今は50歳の人は大変若く見えます。古稀になり、もう老人かと思っておりましたが、あと10年位はまだ活動できそうです。
 これは何が原因なんでしょうかね。栄養、過重労働からの解放、衛生環境の改善等でしょうか。
 ともあれ、そうであるならば、また新しいトランシーバを買って世界中と交信してみたくなりました。
 人は歳によって老いるのではないと言う言葉をしみじみ思い出しました。

ラーメンの作り方
 無線の話では無いです。退職してからは即席ラーメンをよく作ります。簡単にできて便利ですが、何かしてるとすぐに沸騰して吹き強ぼれてしまい、誠に不便でした。
 そこでアマチュア無線家たるもの、何か方法はないものかと思案。高校の化学で習った沸点上昇を思い出しました。ラーメンを煮る前、鍋にほんの一滴、オリーブ油を垂らします。レンジに火を付けて後は放って置いても吹きこぼれることは絶対ありません。以後、安心して台所に居ます。
 沸点が上昇しますのでラーメンも早く柔らかくなって一石二鳥。味は変わりません。
 なお、念のため、ご利用の場合は自己責任でお願いシマス。

先日交信した方
 76歳の方でしたが、産婦人科以外は全て行きました、と。歳を取ると次から次へと病気が出てきますが、困ったものです。さりとて、早期発見ばかり心がけているとノイローゼになるでしょう。
 余り気にせず、後は天命と居直るのが最善なのかなと。
 夏雲や じっと動かず 午後の峰

老人福祉センター
 その所在はずっと前から知っていましたが、まさか自分が行くとは思っていませんでした。先般、ふとした折りに寄ったところ、囲碁クラブや玉突きクラブもあって十分気分転換が出来ました。無線クラブはありませんでした。
 65歳以上無料なのでありがたいです。70歳の私はまだ若い方ですが、元気な人が多いので行くと愉快な時間を過ごせます。囲碁クラブも適当に楽しめます。以来、時間があると行くようにしてます。
 みんなもう肩書きも何も無いのですぐに顔見知りになれ、大勢の人と仲良く遊べるのは、この歳ならではの有り難いことです。
 それにしても老人センターに行く自分は信じがたいです。今もなお。 

ライオンの親子
 アフリカの大平原、真っ赤な太陽が沈もうとしている。ライオンの親子はいつものように平原をゆっくりと歩いている。母ライオンがいつものように右手の水飲み場に向かって歩いて行く。すると、後を付いていた子ライオンは立ち止まり、暫く、じっと母ライオンの後ろ姿を眺めていた。それから母ライオンとは反対の方向に向かって歩き出した。母ライオンの姿はどんどん小さくなって、やがて見えなくなってしまった。
 これが自然界の母ライオンと子ライオンの永遠の別れだと言う。ある日、そうやってライオンの親子は別れてしまう。親離れ、子離れである。数年経てば、再会してももう分からないに違いない。
 このビデオを見たのは学生時代だったが、動物の親子の絆はなんと儚いものだろうと思った。しかし、いざ古稀になってみると、どうも人間の親子も同じ様なものかなと思う。

恩師の言葉
 学生時代のM教授は、半端な時間は語学に使え、が口癖でした。実に良い言葉で人生の折々に思いだしたものです。確かに単語一つなら三分もあれば事足ります。
 もう一つは、I教授に学生生活、何をしたら良いのですか、と聞いたときに、何でも良いからやっていれば良いんだよ、とあっさり応えてくれました。これはまさに至言でありました。簡単でこれ以上深みのある答えは無かったでしょう。学生に対して、在り来たりの道徳的答えをしなかった所にI教授の明晰さがありました。
 さて、退職して十年、この両教授の言葉がどんなに役立ち、勇気づけられたことか。
 退職してすることがなくなり、生きる方向が見えなくなった言う、同世代の悩みを時折、聞く事があります。私にもそのような時が訪れることがありましたが、両教授の言葉が私を救ってくれました。
 生涯にわたって生きる知恵を学生に授けてくれた両教授こそ、私にとって真の教育者でありました。

安保法制
 岸内閣の時に安保改定があり、反対デモが激しかった。学生も多く参加した。その30年後位にデモに参加した著名人の一人が安保反対デモに参加したのは間違っていたと述懐した。安保改定は必要だったと。改定の条文もろくに読んでもいなかったと。今回の安保法制のデモにも似たようなものを感じる。
 デモ参加者は戦争反対と叫んでいれば、戦争しないで済むと思っているのだろうか。およそ国家は武力装置無くしては存在できない。今の中東でテロリストに占領された国を見れば、それは明らかである。
 日本の周りを見れば、友好国は殆ど無い。周り中すべて敵国家である。この環境で武力を整備しないというのは生きる意志を放棄したのと同じである。
 それにしても日本に危機が訪れた時、それに対処する人物が必ず出現するのは、一体どういう事なのだろうか。時宗神話は今も生きているらしい。  

引き込み線
 先日、プリンターのスイッチを入れた途端、部屋の電気が切れた。二階の照明は全て消えたが、一階に降りると冷蔵庫の電気は来ている。大きなプリンターなのでサージで切れたのかと思い、ブレーカーを見たが、どのブレーカーも落ちていない。さてこれは?
 いくら考えても原因は分からない。ショート、漏電ならばブレーカーは必ず落ちるはずである。仕方なく電気工事店に電話した。1時間ほどしてやってきたのは80歳位のおじいさんだった。大丈夫かなと思ったがテスターで配電盤をチェックすると、すぐに言った。電柱のヒューズが切れてます。
 多少とも電気に詳しいと自負していたが、電柱のヒューズは知らなかった。各戸の引き込み線には全てヒューズが付いていると言う。それでブレーカーが落ちる前にヒューズが切れることがあると言う。若い元気な東電の修理係が来て、するすると電柱に昇り、あっという間にヒューズを交換してくれた。
 下りてきた工事士はヒューズは古くなるとよく切れます、と言った。古くなると切れやすくなるらしい。なるほどそう言うことか。200V上下で二本のヒューズがあって、その片方だけが切れたという。それで一階だけは電気が来ていたわけだ。
 おじいさんが帰った後、それにしても餅は餅屋だと痛感した。 

ウインドウズ10
 無料ダウンが始まりましたが、当方としてはすぐにはダウンする予定は無いです。と゜うせ半年位は修正の嵐だと思いますから。自動車で言えばリコールですが、ソフトはリコールとは言わず、更新サービスと言う事で処置しています。この辺が妙な感じです。自動車はリコールというと責任とか大騒ぎしますが、ソフトの場合は無料でバージョンアップしてくれると言う事で、特に批判が無いのが面白いところです。
 ソフト製品の端境期で世の認識がまだ定まっていないことを示して居ると思うのですが。
 ソフト製品の価格も高すぎますが、これも似たような事情でしょう。自動車の二台目を製造するとき、一台目と同じ様に材料と手間が必要なので価格も同じです。これは納得できます。
 しかし、ソフトの場合は二個目を作るときはコピーで済みますから、手間も時間も掛かりません。それなのに同じ価格というのは妙な話です。 これに世の批判が無いのはやはり、ソフト製品というものに対する認識がまだ適正に定着していない事を物語っています。
 ソフトは本来、メーカーがハードに無料で添付するものと私自身は考えています。とは言え、ソフト開発者の苦労もあるので、最高価格1000円程度ならば、適正と考えますが。
 有名なコピーに、ソフト無ければただの鉄の塊とは、上手い言葉を考えたものです。ソフトの方がより重要なものと宣伝したかったのでしょう。自動車で例えれば、本体とタイヤみたいなものです。
 確かにタイヤが無ければ自動車はただの鉄の塊です。だからと言ってタイヤ一本を100万円で売りますと言ったら、納得できません。ところが、これと同じ論理で、今、コンピュータのソフトは販売されてるわけです。
  さて、KK10ですが、ウインドウズ10になっても特に不都合は無いと予想してます。VBの言語使用も変更は無いと思いますので。実際にダウンしましたら、レポートします。
 

避暑地
 漸く暑い夏が過ぎ去ろうとしています。酷暑は老人にとってもっとも耐え難きものです。事実、老人の死亡率は酷暑と酷寒の時期が最高です。お悔やみ欄の大きさを見れば、それは如実に分かります。
 若い時は暑い夏が好きで日中も平気で出かけ、プールで泳いだり、山登りしたり、魚釣りに行ったものです。夏の強い日射しの下、一日河辺で釣り糸を垂れていても一向に疲労も感じませんでした。
 歳と共に、夏は苦手となりました。毎年、避暑地に別荘を作るお金はないものかと思案しました。年金生活でお金がある筈はありません。
 とは言え、赤城山の麓で生活していますので、その気になれば、30分で涼しい赤城山に行くことが出来ます。ならば、赤城山の頂上に安い別荘を夏季の間、三ヶ月程度借りれば、涼しい夏を過ごすことは可能です。費用もそれほどは掛かりません。
 しかし、いざ、実行に移す段になり、色々考えると、いい点ばかりでは無いと分かりました。
 別荘に住めば涼しい夏を過ごすことは出来ますが、近くには本屋も電気屋も薬屋も何もありません。これは困ります。スーパーもありませんから食料は買い溜めとなります。ずっと、町で生活してきた者にとってこれはかなりの苦痛です。
 それと、週に一度位は実家の点検にも行かなくてはなりません。また光ケーブルがひいてないのでインターネットは超遅くなります。これも不利なことです。
 で、あれやこれや総合すると、避暑地の別荘は考えているよりは快適では無いと断定しました。
 そこで、別荘は止めて暑い夏を快適に過ごす方法を考えることにしました。
 やっと、此処でテーマに辿り着きました。暑さに負けないためには健康です。それで梅を酢に漬けた梅酢を作ることにしました。青い梅の実を瓶に入れて酢に漬け置くだけです。一週間ほどで食べられるようになります。これを毎日一つずつ六月の初めから食べました。すると、毎日、体が元気で疲れも感じません。夏風邪も引かず、元気一杯で今年の夏の暑さは若い時と同じ様に快適にすら感じました。
 効能の詳しいことはインターネットにありますが、昔の人の知恵は大したものです。

 青い落ち葉
 この時期、森の道を歩くと、沢山の落ち葉が散乱しています。落葉と言えば、枯れ葉と思いがちですが、足下の葉はまだ緑色、青々としています。決して枯れては居ません。
 それでも落葉してくるのです。見ていると、風も無いのにパラパラと散ってきます。道は緑の葉で埋め尽くされています。よく見ると、楢の類の木々から落葉しています。ミズナラ、コナラでしょうか。
 道路に落ちている葉を拾ってみると、数枚の葉と一緒にドングリが必ず付いています。数枚の葉が翼の役目をして、親の木から少しでも遠くへ飛ぼうと言う事なのでしょう。どの落ち葉も一枚だけというのはありません。四、五枚の葉とドングリが一つの組み合わせになっています。それが彼方此方に散っているのです。まだ緑の葉を親の木は情け容赦なく切り落としているのです。アポトーシスです。枝元の細胞が自死する事で小枝が落下していくのです。
 子孫を残すための壮絶な自然の仕組みです。生きている葉を根元から切り離してしまうのですから。緑の落ち葉は秋の訪れを告げています。

老人ホーム
 古稀になると、老人ホームの事も考えるようになる。何時までも一人で自活出来るとは限らないからだ。
 しかし、父親が老人ホームに居た時を考えると、胸中は複雑である。また、最近の新聞には老人ホームでの虐待がよく報じられている。
 世話をしている惚け老人に腹が立って若い介護士がつい暴力を振るってしまう。その心理はまあ理解できなくも無い。さりとて、殴られたり、水に漬けられたり、果ては窓の外に放り投げられ、転落死するのはよろしくないことである。
 そんな立場に自分がなるのは御免被りたい。ならば、どうするか。
 それは一にも二にも、ともかく死の前日まで健康で自活していると言う事である。それなら、老人ホームに入る必要はないからだ。
 すると、そのためにはどうしたらよいのだろうか。
 毎日、一度は外に出て歩いたり、走ったりして体を動かす事。これは不可欠だろう。それと、頭を常に使う事。何でもいいから、興味のあるものに熱中して取り組む事だと思う。趣味があれば一番いいが、無ければ、若い時にやった英語とかを再びやるのが最適かと思う。
 毎日、心身共に活動させておく事が老人ホームに入らないための最高の対策と思う。
 事実、部屋に閉じ籠もっていると、忽ち、体全体の筋肉が縮小低下していくのがよく分かる。老人は座っていてはいけないのである。
 古稀無線家の皆さん、部屋で一日中、無線をしているのはよくありません。
 ところで、最近は和文電信をやる人は激減していますが、和文電信は脳トレーニングには正に最適のものであります。頭を猛烈に使うからであります。特に反射神経が鍛えられます。なので、本ソフトを使って是非、和文電信をマスターする事をお勧めします。 

モールス電信
 国家試験からモールス試験がなくなってから久しい。以前はなかなか一アマに合格できなかったが、電信の試験がなくなってからは一アマは容易に受かるようになった。予想問題集を覚えれば済んでしまうからだ。では何故、電信の試験がなくなってしまったのだろうか。
 プロの無線通信で電信が使われなくなった事がまずあるだろう。それと、アマ無線機のメーカーとすれば、試験を優しくして有資格者を出来るだけ増やし、無線機を沢山買ってもらいたいと言う事だろう。
 しかし、試験が容易になったのにそれほど一アマ資格者が増えないのは、何故か。
 アマチュア無線をやる人の総数が激減しているのも確かに一因ではある。しかし、それ以外にも理由があると思う。
 それは一アマの試験に合格しても何の名誉にもならないからだ。誰でも容易に合格する試験など受けても無駄な事と思うからだ。それが一アマの増えない、本当の原因だと思う。
 あんな資格持っていても全く何の意味もないと言う事である。
 電信実技を課して難関試験のままの方がよほど一アマの価値があったと思う。今からでも遅くないから、一アマだけは昔に戻して、電信実技試験を課すべきである。
 それにしても、和文電信をする人が更に一層少なくなっている。大変残念な事だ。確かに電信習得にはすごい年数が掛かるけれども、諦めずに頑張ってマスターして欲しいものだ。物事は難関を制したときの方が喜びも大きい。だから若い人は電信習得を目指して頑張って欲しいと思う。
 付け加えれば、和文電信の訓練は頭の鍛錬になります。素晴らしい反射訓練になります。歳を取っても年数は掛かるが、必ず習得できると思います。惚け防止など当然の事です。若い時なら、二年位で欧文、和文をマスターできると思います。

老人漂流時代
 現代は老人漂流時代と言われているらしい。確かにそうかも知れない。衣食住は何とか足りているが、退職して何もすることがなくなると、これはこれで密かな悩みとなる。起きて食べて寝て起きての繰り返しでは人間はやっていけないらしい。事実、退職してまもなく鬱病になり、自殺した知人も居た。恐らく、人生の目標を見失ってしまったのであろう。そうなると、何もしないで生きていられる方が辛いことになる。
 貧困のため朝から晩まで働かなくてはならない環境であれば、人生について考えることもない。何かすることを見つける必要もない。労働で一日が過ぎていくから余分なことは考えなくて済んでしまう。
 となれば、老後の人生が問題となるのは豊かな社会故のものかも知れない。
 古稀ともなれば、あと残された人生はそうは多くない。多くはないが、何をしたら良いかと考えると、なかなか妙案は浮かばない。無線も良いがそれだけではやはり行き詰まってしまうだろう。ここは、しっかりと将来を見据えた哲学を持つ必要があるだろう。
 ともかく、毎日心身ともに稼働させることと、どの道でも良いから、歩いて行けば良いと思う。歩いている内に病気になり、そうしてある日、この世を去ることになるのだ。それが人間の一生かと思う。歩けば、やがて日は暮れる。 

製品開発
 
どんな製品も開発していくと、やがて限界に達するようだ。同じ概念でやってる限り、そうなるのは当然とも言える。ウインドウズ10を使ってみたが、特に良くなった点は無いように思う。
  動作が大変重く感じる。大量のコードを書いているせいだと思う。ハードの進歩で何とか救われているが、昔の機械だったらうんともすんとも言わなかっただろう。
  どんな機械も絶頂期があり、やがて衰退していく。生物も機械も同じかと思う。もう改良もし尽くしたのかも知れない。感動のない新製品はもういらない。 

RS232C
 ずっと以前のパソコンにはRS232Cのコネクタが付いていました。ここにシリアル通信モードで出力をすることが出来たので、キーイングも可能でした。ところがUSB時代になるとコネクタも無くなり、使うことが出来なくなりました。ですが、最近、USBとRS232Cを変換するケーブルを見つけました。
 これを使えば、簡単に昔のパソコンのようにキーイングが出来る筈です。問題は速度ですが、DOS版で出来ていたので、恐らく大丈夫ではないかと思います。
 その内に、ケーブルを購入して実験をしてみたいと思っています。ただ、CWKKに組み込むとなると、新たな問題点も出てきそうです。DLLの形にしてメインプログラムにリンクさせるのが一番簡単ではないかと思っています。
  実際にキーイングするには、トランジスタを介して簡単なインターフェースを作り、それを金属ケースに入れるなどしないと実用にはならないでしょう。またインターフェア対策も必要でしょう。多少の工作が必要となり、手間が掛かるのが難点です。工作の好きな人はよいですが、そうでない人は使えないのが欠点です。 

古稀の体力作り
 長年の高尿酸で腎臓と痛風に悩まされたので今更ですが、ランニングを始めました。もう二ヶ月位になります。e-FGRが40で慢性腎不全です。でも尿蛋白は出ないので透析になることはないとのことです。普通は悪くても60以上です。痛風は薬を飲み出してから発作は起きなくなりました。
 で、ともかく、運動が不可欠と言うことを聞きましたので走り出しました。
 走ってみると、走ることがこれほど快適なものなのかと驚きました。今はすっかり走りに夢中になっています。ジョギングと短距離走の両方をやってます。細くなっていた脚がまた昔のように太くなってきました。体重も増えてきましたが、腹は出ません。有り難いです。運動しながら太るのはそれほど害はないそうです。脂肪太りではないからでしょうか。それにしても、若い頃、陸上をしていればなあと、今頃、古稀になって少し後悔しています。

一本13万円
 柿を食べていたら、゜固い種をうっかり噛んでしまい、前歯が二本欠けてしましました。角が痛いし、見栄えも悪いので仕方なく歯医者に行きました。そしたら、補綴代金が一本13万円とのこと。ジルコニウムという金属とプラスチックの合成物とのことです。他の選択肢は如何にも駄目げだったので低価格だったのですが止めました。これから十数年は使うので安物はやはり駄目だと思ったのです。無線の通販と同じですね。安物はドライバーがなかったり、インチキが多いです。
 それにしても、26万あれば、いいパソコンも買えたのにと後悔しきりです。

老人料理教室
 林檎の季節ですが、焼き林檎が一番美味しいです。作り方は簡単。
 林檎を剥いて四つ切りにします。それを800Wで大きさによりますが、4分〜5分レンジでチンします。それでできあがり。林檎の酸っぱ味が無くなり、甘さが増してお菓子のように食べられます。是非、お試しを。
 次は健康食。
 ピーマンとタマネギを切り刻んで、オリーブ油を適量振りかけます。それからレンジ800Wで約2分間、出来たら、それに胡椒と醤油を少し掛けます。ミネラルもあり、タマネギは糖尿病とかその他に効能があると言われています。ピーマン一個、タマネギは大きいものなら半分位が一人前かなと思います。毎朝食べて体調は万全です。

林檎の木
 明日地球が滅ぶとも私は今日、林檎の木を植える。これはマルチンルターの言葉とされてますが、歳を取ると、一層この言葉が身に沁みてきます。
 老人になると、もう先が無いのだから、今更こんな事をしてもと、何事にも消極的になりがちです。しかし、この思考に填まってしまうと、全てに興味を失っていきます。するとやることが無くなってしまい、人によっては鬱になってしまいます。
 確かに人生には意味もありませんし、生きてる目的も何も無いです。しかし、そう考えると、結局は人間を否定することになってしまいます。
 高齢の著名な評論家が大きな書庫を作るか否か迷った末、作ることにしましたと書いていましたが、これも老い先短いのだからと書庫を作ることは無駄と考え、その建築を止めていたら、その人の人生は終わっていたのでは無いかと思います。
 人生は何時かは終わりますが、終わることは考えないのがベストの生き方だと思います。
 死ぬことは死んでから考えれば十分ではないでしょうか。
  

ロシア参戦
 IS掃討にロシアが参戦した。これでこのテロ集団も壊滅することになるだろう。ロシアのプーチンは徹底的にやるからだ。ある意味、政治家としてはあるべき姿を持っていると言えよう。
 言葉や理想のみで優柔不断の政治家は不要である。演説がうまくて大衆受けのする政治家は激動期には何の力にもならない。アメリカはここ数年で国際的地位がひどく低下してしまった。この次のアメリカ大統領は空前絶後の挽回をしないと世界平和を保つことは出来ないだろう。
 それにしても、ISが若者の参加を得たのは、格差と貧困の結果である。絶望した若者が最期の地にイスラム国を選んだのは理解できる。何の希望も無い前途であれば、人生の最後は、し放題の略奪と暴行をして終わっても良いと考えるのは理解困難なことでは無い。
 西欧社会の格差構造が続く限り、今のイスラム国が滅びても、また第二のイスラム国が何れの日にか、登場することは容易に推察できることである。
 西洋社会はいまもなお、貴族社会のままなのである。社長が10億円も給料をもらっていることなどは、狂気の沙汰としか言いようがない。
 現在の日本は極端な格差は無い。西洋の真似をせずに、この社会構造を維持してもらいたいものである。

 

戦争の危機
 ロシア機の撃墜は戦争の危険をはらんでいる。プーチンは引き下がる訳にはいかない。アサド政権を挟んで米ソ対立の構造が見えて来た。アメリカがよほどしっかりしないとロシアに押し切られる恐れがある。昔のケネディのような決断力のあるリーダーが居ないと世界は飛んでもない戦争に巻き込まれることになる。
 戦争は何時の時代も思いも掛けない小さな事件から発生している。戦闘機の撃墜はその引き金になるかも知れない。

互換ボード
 2290円で買ったARDUINO互換ボードの電信送信装置がもう少しで完成します。接点にトランジスタを使いますので簡単な工作が必要です。2SC1815辺りのものなら何でも使えます。本体のコードを少し修正するだけでTUSBとARDUINO両方を切り替えて使えるようになります。あとはUSBとRS232Cの変換コードのみでも電信送信が出来る筈なので、それも何時かやりたいと思って居ます。変換コードは安くて500円位からあるようです。
 工作をやるのは久し振りです。市内の部品店に行ったら、もう商売にならないので閉店にするとのことでした。前橋にはいくつか電気部品屋がありましたが、全て閉店して今はこの店だけが残っていました。
 今は通販で品物を手に入れることが多くなったためでしょう。送料は高いですが東京まで買いに行くことを考えれば、やはり安いという事になります。それに最近は送料無料という通販も増えてきました。なので、地方の部品店はもう太刀打ちできないでしょう。
 その店は中学生の頃から買いに行ってた店で、無くなるのは何か寂しい感じがします。先代の父親が経営していた頃、よく行きました。その時の赤ん坊が今の経営者です。
 ラジオ少年で溢れていた時代が懐かしいです。
 秋葉原にしても様変わりして1965年当時の様相はもうほんの僅か残っているだけです。

毎日走ってます
 退職して10年目。仕事が無いのでどうしても慢性的に運動不足となります。改めて死ぬまで出来る仕事を選べば良かったと後悔しています。それはともかくとして、体の衰えを感じたので、それまでしていた散歩は止めて全て走ることにしました。幸い、近くに公園と国道の側道がありますのでそこで走ることにしました。
 走り始めると走ることは実に快適で毎日走っています。時間は25分程度。もっと走りたい気もありますが、疲労が残るのは良くないと思い、物足りない位にしています。
 最初6分かかった距離が今では3分47秒で走れるようになりました。15分はゆっくり走り、8分は中速、2分は短距離走で走ります。今では100メートルほど全力疾走しても大して疲労を感じなくなりました。ですが、あまり頑張るのも良くないと思い、全力疾走は9割程度で走ってます。脚は元々太くて丈夫でしたが、短距離走をするようになってからまた若い時の太さに戻りつつあります。走ることがこんなに楽しいと分かっていたら、若い頃からやりたかったと誠に残念です。走るようになってからは階段も飛び上がって昇れるようになりました。以前は当たり前のように手摺りにつかまって昇っていて、体の衰えに気づきませんでした。 毎日走って素晴らしき70代を健康で行きたいと思っています。
  

一年が早すぎる
 今年もあと僅かになりました。あと一週間位で終わりです。子供の頃は一年が永遠のように長かったのに、歳を取るとまるで一ヶ月とそう違わなくなります。今年も特に何の思い出も無く過ぎ去っていきました。若い頃は毎年何か新しいことが訪れて居たように思うのですが。何も無いことで一層時の過ぎ去るのが早く感じるのでしょう。
  これでは一生が短く感じられるのも当然かなと思います。幾歳まで生きてみても、やはり人生は五十年なのかも知れません。いや、悲観的なことを考えると、老人性鬱などと病名を付けられてしまうのでそれは止めましょう。
 残された人生の月日を、大したことは起きそうにもありませんが、無心に楽しみながら生きていきたいと思います。

明けましておめでとうございます
 2016年、平成28年が始まりました。心新たに楽しい一年になるよう努力したいです。
 大晦日の風呂場で足を滑らせて転倒しましたが、奇跡的に怪我無しでした。風呂場は滑るものを忘れていました。十数年前にも滑りましたがこの時も怪我無し。相当の勢いで転倒しましたが頭を打つことも無く怪我無し。
 思うにこれも柔道を少しやっていたお陰かなと思います。いきなり倒れても頭を打つような体勢には決してなりません。柔道に感謝です。
 何でも習得しておいて損は無いようです。アマチュア無線のお陰で家の中の電気器具は大抵修理、設置が出来ます。これもアマチュア無線に感謝です。
 今年もDLLやHIDの装置を作りたいと思って居ます。かなり難解のようですが、暇な年金生活なので格好の暇つぶしにはなりそうです。 

PICマイコン
 PICマイコンを使っても電信送信が出来ることは分かっていますが、PICマイコンは今まで使ったことがないので全く工作の仕方が分かりません。歳を取ると新しいものに取り組むことは大きな抵抗となります。
 とは言え、PICマイコンもARDUINOと同じ構造のものです。ただ、ARDUINOは書き込みもコンパイラも全て付属しています。ですから手間が何も掛かりません。PICの方はライターもコンパイラもIDEも別なので、一々それらを用意して使うことになります。それで、ダウンロードすると、それがXP対象だったりして、ウインドウズ10,64ビットの時代とは全く合致してなくて新しい記事を探すのが大変です。手間が掛かりますが、自作する人はこの手間が元々好きな人達なので、この手間を楽しんでいる訳です。
 自作する人達は、恐らく出来るならば、全て自作したいと思ってる人達だと思います。でもそれは不可能ですね。昔ラジオの自作が流行りましたが、あれだって自作してるのはほんの一部でした。真空管やトランス、バリコン等は個人では作れませんでしたから。敢えて言えば、ハンダ付けをしただけです。
 マイコンも同じ事です。全てアセンブラで書いていたら、人生の時間は足りません。結局、利用出来る部分は利用することになります。
 なので、将来はUSB内蔵マイコンも全て付属してきて、ARDUINOと同じ環境になるのかなと思います。そうすると、利用はひどく容易になります。でも、自作する人達にとってはひどくつまらないことになります。誰でも簡単にできてしまう訳ですから。自作する技量も何も関係ないことになります。

 ラベル
 先日製作した電信装置にラベルを貼りました。昔は貼り付けるレタリングがありましたが今はもう無いようです。文具店で探しましたが無かったです。それでパソコンで印刷して貼り付けました。ラベルを貼ると何か一層それらしき装置に見えて来ましたから不思議です。花押と同じでしょうか。
 ラベル屋さんもパソコンの登場で時代の彼方に消されてしまったと言う事でしょうか。新しい技術は以前の知識を無用にしてしまうから怖いですね。その良い例が一昔前のテレビ技術で、それは今や、全く無用となりましたね。何しろ、小さな携帯電話の中にテレビが入ってしまうのですから。

大雪 (2016.01.18)
 2014.2.15は108年ぶりとかで80センチ程度積もりましたが、今日の雪も35センチ位あります。前橋は雪が降らなくなりましたが、子供の頃はよく降ったものです。30センチ位は何度もあったように記憶しています。
 雪が降ると、近所の老人達がまだ降っているのに雪かきを始めています。雪はあった方が風情があるので私は雪かきはしません。放って置いてもすぐに太陽で溶けてしまうでしょう。
 電波を出してみましたが、短縮型アンテナなのでSWRが雪で大幅に狂っていました。これでは電波を出すことは出来ません。短縮型アンテナは雨や雪の日は運用不可能ですね。午後は晴れてくるそうですがなるべく溶けないで居て欲しいものです。昼ご飯を食べたら公園の方に散歩に行ってこようと思います。

白内障 
 自分では若いと思って居ますが、今日は眼科に行って初期の白内障と言われました。70代の人は90%位が白内障になるそうです。まさしく老化による病気です。ただ、個人差があり、人によっては30年後でもひどくならない人も居るそうです。
 この病名を頂いてはもう完璧な老人と言えそうです。歯も耳も鼻も膝もどこもかしこも故障だらけです。眼科医院の中は老人であふれかえっておりました。自分もあの人達と全く同じ世界に属したのだと悟りました。
 しかし、テレビなどを見ると80歳近い芸能人が元気に活躍しています。今までは何とも思いませんでしたが、80歳にもなるのに白内障にも負けずにテレビに出ているのはすごいことと改めて驚きました。
 まあしかし、人生は気の持ちようです。長嶋さんのように病気に負けず、私も毎日元気で生きていこうと思います。

千円カット
 最近は千円カットが定番です。もう床屋には行きません。古稀老人には千円で十分ですので。時間も15分と短くて有り難いです。ここ数年で、前橋の彼方此方に千円カットの店が出来ました。増えている所を見ると、まあまあ繁盛しているのだと思います。最近は格安の肩揉み屋さんも多く見かけます。思うに、床屋にしても、あの位の値段でやってもらいたいというのが本音かなと思います。
 パソコンのソフトにしても、やがては格安の時代、もしくは無料の時代が訪れると思います。どう考えても今のソフトの値段は高すぎるからです。ソフトメーカーのマイクロソフト社長がが重工業の会社社長よりも高給取りなんてのは嘘です。
 とは言え、安い床屋が出てきたのは最近ですから、安いソフトの出現ももう少し時間が掛かるかも知れません。しかし去年、リリースされたウインドウズ10は無料サービスとなりました。無料になったのには色々と理由があるのでしょうが、無料にせざるを得なかった事情もあったと思います。となると無料格安の時代も意外と早く来るかも知れないです。

恐竜
 巨大隕石で恐竜は滅びたとされているが、どうも私はそうではないと最近、思うようになった。隕石一つで地球上の全ての恐竜が一匹残らず死滅するだろうか。広い地球であるから何処かで生き残る恐竜が居たはずである。
 恐竜が滅びたのは、種の寿命だと思う。種は遺伝子の配列だが、それが長い間に少しずつ乱れていくのだと思う。寧ろ、遺伝子が規則正しく整列してる方が不自然なのである。
 遺伝子が乱れると、それは生殖本能を低下させ、雄が雌を追いかけなくなったり、性交を拒否する雌が増えたりする。また母性本能が失われ、子育てを拒否する事になる。やがて、そのような現象が更に高頻度に出現して、遺伝子衰退を伴った恐竜は長い間に子孫を産まなくなり、その結果、この地球上から姿を消すことになったのだと思う。
 人間も何時かは種の寿命を迎えて滅んでいくのだと思う。最近の人口減を見ると、もう少しずつその兆候が現れているのかなと思う時がある。事実、子育てをしない事件も最近では新聞紙上でよく目にするようになった。
 エントロピーが増大するように種の寿命もいずれ遺伝子の乱雑さの増大により、その終わりを迎えることになるのだと思う。

高齢者運転講習会
 通知が来て高齢者講習会に行って来ました。講話と検眼、実地運転がありました。どれもクリア出来ましたが、クリア出来てもただの参考資料と言うことでした。検眼が更新時に免除になることも無いそうです。それでいて5600円も取られました。三時間も時間を掛けても得るものはゼロでは無いですが、少なすぎます。そう感じたのは私だけでしょうか。
 70歳からは免許有効期間も4年間だそうです。75歳から免許有効期間は3年間になります。加えて、75歳からは予備講習が入り、講習、更新時と三回も費用を払わなくてはなりません。確かに安全のためとは分かりますが、何となく納得出来ません。
 もっとも納得出来ないのは免許システムだけではありませんので、一々文句付けていたら切りがありませんが。要するに、そのシステムで恩恵を受ける人達も居ると言うことなのでしょう。それが人間世界というものなんですね。さすがに古稀になると諦観の思想も加わって物わかりが良くなるようです。
 単なる趣味のアマチュア無線の世界ですら、この利権が横行しているのですから、他は推して知るべしであります。

人工頭脳
 と言うニュースが世界を駆け巡っています。囲碁のソフトはまだまだ棋士には勝てないと言われて居ましたが、意外に早く勝ってしまいました。1500台のコンピュータをつないだ装置とのことです。ゲームは一つの目標に向かうことを競うものですが、そういった単純なものだと、やはりコンピュータが強いでしょう。でも、そのコンピュータを作っているのは人間です。やはりそのプログラムには作成者の思想がある筈です。その思想の弱点を突けば勝てるのでは無いでしょうか。
 コンピュータ対コンピュータの対戦となったらどうなるのでしょうか。
 此れは結局はソフト作成者同士の戦いなのだと思います。強い人が作ったソフトの方が強いはずです。コンピュータは結局、作成者の意図を忠実に実行しているだけでは無いでしょうか。
 ともあれ、囲碁は一番複雑なゲームですので、それがある程度解明出来るとなれば、その技術は様々な分野で応用出来るものとなる筈です。
 しかし、いくらコンピュータが発達しても人間を超えることは無いと思います。
 人間には興味とかやる気とか、好奇心がありますが、コンピュータはどんなに頑張っても、それらを獲得することは無いと思います。
 あくまで人間あってこそのコンピュータだと思います。

K-01977
 秋月のサイトを見ていたら、950円でUSB変換基板が売っていました。余りに安いので買う気になりました。ですが、これにはRS232Cの回路が組み込まれていません。なので、一工夫しないと電信送信機には使えません。
 調べてみると、DTR端子はありましたが、送信時には電圧ゼロ、非送信時には3.5Vが掛かることが分かりました。このままだと、フォトカプラにつなぐ訳にはいきません。何とかして位相を反転させる必要があります。しかし余り大袈裟な回路では安く買った意味がありません。簡単な回路で反転させたいものです。
 出来たら、最新情報のページに書いてみますのでご覧下さい。
 なお、商品名は、K-1977、AE-UM232Rです。

工作
最近はよく工作をしている。すると、無線に熱中していた学生時代をふと思い出した。毎日のように送信機を作っては壊していたものだ。授業には殆ど出なかったと思う。
 ある日、友人が一緒に旅行に行かないか、誘ってくれた。男二人、女二人の四人旅である。たまには旅行も良いかなと思い、行くことにした。一緒の女の子も良い子だったので楽しみにしていた。
 東京駅で待ち合わせることになった。ところが、私が勘違いをして、当日、上野駅で定刻まで待っていた。誰も来なかった。仕方ないから、独りで九州まで行った。余り東京に来たことがないから、上野と東京駅を間違えてしまったのだ。
 一緒に九州に行っていれば、楽しい旅行が出来たのにと、今でも残念な思い出になっている。その時の友達は40歳位で亡くなってしまった。
 当時は思い至らなかったが、私もがっかりしたが、他の三人もひどく落胆したと思う。しかし、その三人に謝罪した記憶が何処にも無いのが不思議である。
 一緒に行って居たら私の人生も変わっていたかも知れない。

目の検査
 運転免許更新の通知が来た。今までは何とも思わなかったが、知り合いが今度はパスしないかも、と心配していたのを聞いてから、自分自身、心配になった。
 と言うのも、視力が0.7くらいだからである。老眼が進むと、レンズで矯正しても1.5にはならない。それで、最近はパソコンのプログラムを打ち込むのを止めた。免許更新が終わるまでコードの打ち込みは控えることにした。
 夜間のコード打ち込みは目にひどく悪いのは分かっていた。あとは更新日の数日前からは細かい文字やパソコンを見ないようにするつもり。
 これで最善を尽くして合格を勝ち取りたいと思って居る。駄目なら、水晶体レンズを入れようと思って居る。父親も75歳位で入れたのを記憶している。よく見えるようになったと話していたのを覚えている。
 あとは数日前にブルーベリーを買ったのでそれを更新日まで飲むようにする。
 老人には車が生活必需品である。85歳位までは運転したいものだ。

お花見
 土曜日で暖かそうな日だったので、赤城の山腹まで花見に出掛けました。宮城町の千本桜です。しかし、途中まで行くともう渋滞で車が動かなくなりました。まだ目的地はずっと先です。思案の末、予定を変更して大胡町のフラワー牧場に行くことにしました。
 行ってみると、大勢の人が居るので驚きました。草原で大勢の花見客に混じって昼飯を食べました。妻が買って来たのはカツ丼。花見にカツ丼とはなかなか洒落たものです。温度も24度だったらしく良い花見日和でした。
 食べ終わって南の方へ散策していくと、意外と広い牧場だと分かりました。入り口からみていると、大した広さに見えなかったのですが、ずっと先まで敷地があり、また桜並木が彼方まで続いていました。
 それで、桜に引かれてずっと南まで歩いて行きました。牛の牧場を通り過ぎると、東の方の公園と繋がって居ることが分かりました。とても広い公園だと分かりました。この辺を道路標識などでよく周知させれば、この公園はもっと沢山の人が訪れるのではないかと思いました。公園内の山道を散策して山桜を楽しむことも出来ます。以前に数回訪れて居ましたが気づきませんでした。東の公園には小さなレストランがありましたので、休みがてら、焼きそばを食べました。周りを見ると、沢山の家族連れで溢れかえっています。
 何事も知らないことは不幸なことと思い知りました。それにしても今日は良い一日を過ごすことが出来ました。

通販サイト
 通販サイトを見ていたら、また使えそうなUSBシリアル変換基板を見つけました。もう電信送信機は4台も作りましたのでいいかなと思いましたが、また作ってみたくなり、仕様の異なる基板を2個、注文しました。何れもDTR端子が出ているので送信は可能です。他に定電圧端子がない場合は、電源端子を使えば送信出来ます。
 CWBOARDのコードを追加すれば、DTR端子以外でも電圧レベルが出る端子であれば、電信を制御出来ます。TX,RX端子はパルス出力なので使えません。電圧を出力できるコマンドがあれば、電信制御が出来るのですが。
 また、暇になったら、製作して紹介したいと思います。5台も作ってよく飽きないものと驚いて居ます。
 でも、同じ様なものを何台も作ると、段々と作り方が上手になりますし、失敗も無くなります。最初にケースにゴム足を付けるなど、手順もよく分かってきます。上手に工作できたときはとても楽しい気分になります。基板とフォトカプラのみの簡単な工作なのて゜、疲れもせず出来るので丁度いいです。この作業量位の工作であれば、何か他にもしたいなと考えている所です。 

石原慎太郎氏
83歳なのにまだ新しい著作を書いている。その積極的生き方は素晴らしいと思う。老人になっても何かしたいことを考えてそれを実践しているのは尊敬に値する。氏の小説は読んだことはないが、氏のエッセイはよく読んでいる。氏自身の生き方がもっとも素晴らしい小説のような気がする。
 氏をお手本として私も何も無い無意味な人生に何かやることを見つけて死ぬまで活動していきたいと改めて思った。

免許更新
 免許更新しました。目の検査をひどく心配していましたが、ものの10秒も掛からずに、はい、いいですよ、と係の人が言ってくれました。0.7位は見えると思って居たが、老人は体調で見えない時もあるからかなり不安だった。迷ったのは1個だけであとは全て即答出来た。
 終わってほっとしたら、体がぐったりした。この一ヶ月の疲れがどっと出てきたらしい。免許更新で今迄は何も心配した事は無かった。不安を覚えたのは今回が初めてである。と言うのも、知り合いが免許更新をひどく心配していたからだ。
 ともあれ、良かった。次回は75歳だが、何とか目の健康を維持して行きたいものだ。駄目なら白内障の手術でレンズを入れる事にする。父も多分、75歳位でレンズを入れたように思う。75歳ならば仕方ない。
 ともかく、コードの打ち込みが一番目に良くないようだ。目を酷使しない様に心がけたい。

地震国
地震国日本は火山の上に出来た列島である。従って地震が多いのは仕方ない。日本中至る所で地震が起きる可能性がある。神戸、東北、今回の九州と来たが、次は何処だろうか。いずれにしても何時かは必ず地震はやって来る事だろう。
 恐らく10万年位で地震は日本一周を繰り返しているのでは無いだろうか。
 しかし、今の生活では地震が来るとどうにもならない。水にしても水道に全て頼っているからである。昔なら、井戸もあり、川や湧き水も利用していたから、水道が無くても生活を維持出来た。水洗トイレは清潔で有り難いが、災害になれば水洗トイレは使えなくなる。これが一番困る事だろう。
 また電気が無ければ何も出来ない。ご飯も炊けない。 
 こうしてみると、今の生活は余りにも整備されていて逆に災害には無防備だと言う事である。
 東北自身の頃、半年位精神的に不安定だった記憶がある。東北とはかなり離れて居る群馬であるが、はっきりと体調の不良を感じた。災害が精神に与える脅威について改めて鮮明に認識した。
 被災地の人々が一日も早く元の生活に戻れるように、今は祈るだけである。
 次は自分の地域かも知れない。

バックアップ
 昨夜、CWBOARD,の修正をしていた所、VB自体が妙な動作をするようになり、プログラムの編集が出来なくなりました。VBを再インストールしましたがそれでもプログラムを編集出来ませんでした。デザイナー部分の読み込みが出来ないようです。そこは自作の部分では無いので手が出ません、
 三年も掛けて作ったソフトが駄目になるかと思うと、気が遠くなりました。しかし、簡単に諦める訳にもいきません。幾つかバックアップも作っておいたのに何れも立ち上がりませんでした。何が原因なのか、分かりません。その内、sliファイルで立ち上げていたのを止めて、ふとvbprojから立ち上げた所、何と正常に起動しました。
 これは奇跡だと思いました。今回の件に心底、懲りて三台のパソコンに同じ設備を作りました。バックアップも3個ずつ作り、DVDにもコピーしました。
 結果的には良い体験をした事になりましたが、一時は息苦しささえ感じたほどでした。皆様、バックアップは不可欠、をお忘れ無くです。

風邪
珍しく風邪を引いてしまいました。喉の痛みが4,5日続きましたが、やっと治りました。でもまだ、軽い気管支炎らしく咳が少し出て体全体が怠い。しかし、勤めがある訳では無いので薬は何も飲みません。
 老人はこの風邪で人生を終えることが多いので、風邪でも油断は出来ません。 世はゴールデンウィークですが、寝てると色んな事を考えるのでそれも悪くはないかなと感じました。あと、残された時間は十数年ですが、もう大したことは何もないでしょう。今後は安らかな臨終を迎えることが最大の願いです。
 それでも人間は何か、希望とか楽しみが不可欠です。何も無くて生きて行くのは至難のことです。
 亡くなった父親が、一人で生活するのはとてもつまらないよ、と言ったのを今でも覚えています。独り暮らしは人間の生活ではないでしょう。
 その父親は母亡き後、10年ほど生きて居ましたが、ある日、もう生きて居ても仕方ないんだよ、言いました。それから二ヶ月後に亡くなりました。何の希望も無くて生きて居るのが厭になって、それで自死したのだと私は思いました。
 幸い、自分には幾つかの趣味がありますので、これに楽しみを見つけてささやかな老後を生きて行きたいと思ってます。
 

一太郎
一太郎を長年使ってきたが、これからはワードにするかなと考えている。と言うのも、先日、新しいパソコンを買ったが、ワードは何時も無料で付いてくるからである。両者の性能は似たようなものである。となれば、経費の掛からないものを選択するのがセオリーである。
 それに以前から一太郎はマイクロソフト社のOS上では何かと動作がおかしくなった。インターネットではデータを打ち込めない。仕方ないのでその時はワードに切り替えていた。この不都合は、何かマイクロソフト社の意図的な戦略と感じるのは考えすぎだろうか。
 OS製作者なのだから、他社のソフトが自社のOS上で稼働する時、いくらでも妨害は可能である。色んな事を勘案すると、いずれ、そう遠くない日に一太郎は他の多くのワープロと同じ様に市場から消えて行くような気がする。
 価格面と不都合の両方があっては、使う者としては使う理由が無いからである。結局、ソフトもCPUもアメリカのものが、戦略的に勝ったと言う事になるのかも知れない。

スーパーのレジ
いつも行くスーパーのレジに並んでいると、大変混んでいた。前の人のかごの中はまるで夜逃げするかのように大量の品物が山と積まれている。やれやれである。これでは当分待っているしか無いと諦めた。
 すると、横から女性の声がして、此方へおいでくださいと言った。隣のレジの人が戻ってきたらしい。いやあ、ありがたいことである。見ると、そのレジ係は普段からよく見かけていた三十代半ばくらいの人であった。レジを打ってる間、見るとも無くその女性を眺めていたが、はて、こんなに綺麗な人がいたかなと不思議でたまらなかった。
 どうやら親切にされたものだから、とたんに好意を感じてしまい、それで美人に見えてきたらしい。親切な女性は男から見ると、美人に見えるのである。これは決して珍しいことでは無い。よく入院していると、美人の看護婦を好きになるという話があるが、あれもこの心理現象だろう。
 今後はあのスーパーに行くと、あの子を探すようになるかもしれないなと思った。というのは、レジの人の勤務は毎日ではないからである。

ドライバー
新しいウインドウズ10のパソコンを買いましたが、デスクトップで右クリックをすると、コンテキストメニューの表示に4秒もかかっています。呆れました。外れの製品を買ってしまったなと落胆しました。
 ネットで調べると、やはりいくつかの不具合が乗っています。新しい製品には付きもののことですが、右クリックしてすぐ出ないのは不快です。調べているとドライバー更新すると治るらしいと分かりました。早速、インテルのドライバーを更新してみると、途端にすぐメニューが出るようになりました。
 それにしてもこんな不具合はちょっと試せば分かることなのに、出荷する時にきちんと検査をしているのかと腹立たしくなりました。パソコンの場合はリコールとかはしなくても修正できるので車よりは楽です。その分、点検が好い加減になっているのかなと思いました。

バックアップ
バックアップツールを作りました。CWBOARDのソースを危うく喪失しそうになったのを切っ掛けにバックアップするようになりましたが、やはり手動だとどうしても怠りがちになります、そこですべて自動的に三台のパソコンに同じ環境をコピーするようなツールを制作しました。
 これだと修正が済むと、自動的にバックアップをコピーしてくれます。コピー先のパソコンがオンになっていない時は通知もしてくれます。エラーになると停止してしまうソフトだと困りますが、VBはTRYがあるので支障なく作業を終えてくれます。VBは本当にすばらしく進化したものと思います。もしかすると、VBが最後に残る言語かもしれないと、そう最近は感じています。
 C#と比較しても少しも遜色はありません。それどころか、両者はますます似てきたと感じます。パソコン言語はよく見ればどれも同じです。沢山あるように見えますが、結局は初期の頃から大して変わってはいないです。何も変わっていないと極言しても良いくらいでしょうか。

夜明け
春になると夜明けが早くなる。すると、目覚めも早くなってくる。今はもう5時には起きてしまう。しかし、起きてもすることが無い。仕事も無い。しかし、何もしないでいる事はほんとにつまらない。退屈は苦痛である。
 仕方ないので、ずっと以前から、英語とかパソコンで遊んでいる。これで結構な時間つぶしが出来るので大変ありがたい。
 老後は義務的なことが無くなってしまうのでやることが無くなって途方に暮れてしまうことが多い。
 老後の人生は自分で積極的にシナリオを書かないと全くの空疎な毎日となってしまう。その意味で老後はその人の思想が明確に反映する日々と言える。何でも良いからやることを考えて死ぬ日までやっていこうと思っている。
 人生は一瞬の夢であり、あっという間に終わりが来るものと思う。

青梅
青梅を酢漬けにしました。今年も青梅の季節がやってきました。スーパーに行くと売っていましたので、早速、酢と一緒に買ってきました。今年は数を推定して小梅を700個、中くらいの梅を350個作りました。これで一年は保つでしょう。この梅の酢漬けが私の健康法の一つです。
 もう一つは、タマネギを一個、毎日食べることです。レンジでチンして食べます。オリーブ油を掛けて食べると、サラダのように美味しいです。効能は知りませんが気分が快適なるのは確かです。
 それから今年はブルーベリーのサプリメントを毎日一個飲んでます。効くような感じがしてます。周りのものがははっきりと見えてる感じです。運転免許の更新で懲りたので目はよくケアしていこうと思います。
 ずっと以前は梅の塩漬けだったのですが、これは体に良くないということで塩漬けは止めたのです。塩は確かに良くないですね。取り過ぎなければいいんでしょうが。昔はつい、5個も6個塩漬けを食べていました。

人生の時間
もう人生に時間がないからと、やることを減らし始めると、どんどんやる事が無くなっていく。終いにはすることが無くなる。終末思考である。これは何の意味ももたらさない。 前にも書いたが、明日地球が終わるとしても私はリンゴの木を植えるである。
 確かに、古希を過ぎるとやろうと思っても出来ないものが沢山ある。いや、上達という意味では殆どのものが不可能かもしれない。それで諦めてしまうと、目の前には何も無くなってしまう。
 そんなに上達しなくてもいいのである。とにかく、興味を持って取り組み、楽しめばいいのだ。それで楽しい時間を過ごせれば最善である。
 とはいえ、人間は常に全身を修復しながら生きている。能も例外では無い。老人であっても脳の修復は行われ、新しい脳に切り替わっていく。必要ならば脳細胞も増える。
 であれば、全くの不可能は無いはずである。遅いにしても老人なりの進歩はある。人生の最後の日まで可能性を信じていく事が最も充実した生き方では無いだろうか。 

スイッチ
随分前だがインジケーター付きのスイッチで部屋の蛍光灯をつけた。スイッチを切ると微かにネオン管が光るものである。最近、それが気になった。というのはスイッチを切ってどうしてネオン管が光るのか、である。色々回路を考えてみたが、うまくいかない。
 と言うのも、蛍光灯は通電前は、すなわち使わない状態では直流抵抗が無限大の筈だからである。それはグローランプのところで回路が切れているからである。
 しかし、そう考えると、どうしてもスイッチの回路が考えつかない。そこで、テスターで蛍光灯の抵抗を計ってみた。無限大を示すはずである。ところがそうでなかった。
 テスターの針は限りなくゼロを示した。そこで、すぐに納得した。
 40ワットの蛍光灯は200ボルト点灯なのでトランスが入っているに違いない。その一次側の抵抗値をテスターは示したのだと。それなら、抵抗値は常に数オーム程度だろう。 そうなれば、ネオン管が点くスイッチの回路も単なる直列回路であり、ごく簡単なものになる。このスイッチは電球でも使えるはずだ。でも、20ワットの蛍光灯では駄目なはずである。しかし生憎、20ワットの蛍光灯が住居にはないので確認はしていない。

USB
従来のUSBのプロトコルは大変複雑なので素人にはちょっと無理でした。しかし、USB付きピックマイコンにはUSBを利用できるようにフレームワークが付いているようです。 それを利用することによって素人は複雑な部分を回避してUSBを利用出来そうです。
 USB付きピックマイコンについて少し情報を集めてみました。その結果、上記のようなことが分かりました。どうやら、ど素人でもUSBを利用できそうなのです。これは大変嬉しいことであります。
 ピックマイコンの言語はアセンブラ、もしくはC言語ですが、これは1970年頃、私の自身がマイコンを始めた時に習得した言語ですので、抵抗は全くありません。作る気は全くありませんでしたが、こんな簡単にUSBが出来るのであれば、やって見ようという気になりました。
 とはいえ、専用のIDEやコンパイラの操作方法を習得せねばなりませんので、結構、やはり時間はかかるのかなと思っています。それでもCWBOARDに新しい駆動装置を加えることが出来れば、大変嬉しい事と思ってます。

PICKIT3
頼んでおいたPICKIT3が来ました。意外と小さいです。これでピックに書き込みをする訳です。でも、使う前にインストールをしなければなりません。ウインドウズ10では殆どのソフトがプラグアンドプレイになっていますので、恐らくPICKITもそうなっているはずです。手元にあるピックの参考書は10年前のものなので余り参考になりません。
 しかし、探してみたものの、私が必要とするピックの新しい本は見つからなかったです。
 マイコン愛好者は多いようですが、発行本の数からするとそれほどでもないようです。それはやはり使い勝手の問題かなと思います。それでARDOINOが出てきたのでしょう。この時代に今更、コンパイラ、リンカを使うようでは大抵の人は途中で止めてしまうことでしょう。アセンブラの時代はコンパイラとリンカは当然のことでしたが。
 でもまあ、自作派とすれば、手間が無くなってしまえば、自作を自慢する部分が消失してしまう訳で、手間は大歓迎なのかも知れません。工作の楽しみはその手間にある訳ですから。完成品であれば、手間は確かにゼロになりますが、でも工作の楽しみもゼロです。
 自作とは言ってもすべてを自作する訳では無いです。
 SSBトランシーバを自作したとしても、それはFETや部品まで自作した訳ではありません。ですから、自作とは出来る部分を作っただけです。
 ソフトの自作も同じで、殆どは他人様の作ったものをコピーするだけです。自作というのも烏滸がましいですが、それが実際の所ですね。
 ともあれ、暇に任せて、少しずつUSB マイコンの工作をしていこうと思っています。 

行方不明
7日間行方不明の小学二年生が無事に退院で本当に良かったと思う。暗い山道をよくぞ一人で歩き続けたものと驚く。そうして七日間もまた孤独と闇に耐えたのは最早脱帽である。 並の子供では無いと誰もが思うことだろう。今後、すばらしい大人になってもらいたい。 もしかして、10年後、甲子園で彼の姿を見ることが出来るかも知れない。
 それにしても、私自身、数十年前、山で行方不明者の捜索隊に参加したことがある。消防団や大勢の人達、60人位で真っ暗な山に入ったが、その余りの暗さに思わず、恐怖に近いものを感じたものである。夜の山は恐ろしい雰囲気に満ちていた。漆黒の本当の闇というのは、そのまま得体の知れない恐怖感を突きつけてきた。捜索隊から離れないように後を付いていくのがやっとであった。
 当時、26歳位で体力気力に溢れていた時代だったのに、夜の山に怯えていた。
 それを考えると、今回の大和君の行動にはとても敵わないという気がする。ともあれ、羆にも遭遇せず、無事に生還できたことを心から喜びたい。

都知事
桝添さんを見ていると余りにもいじめられているのでちょっと可哀想になる。とはいえ、自業自得なので仕方ないが。それにしても、どうせ金を誤魔化すのならば、もっとスケール大きくやった方が外野席に居るものとしては、その方が爽快に感じる。
 誤魔化しのレベルが余りにもセコいので何か惨めさを感じてしまう。前知事の猪瀬氏も5000万円と額は大したことはなかったが、まだ桝添氏よりはましかなと思う。
 桝添氏は少年時代余り恵まれた生活環境でなかったことが、今日の問題を生み出したのかなとも思う。それにしても知事の給与が145万円とは驚き。安すぎである。開業医ならば1000万はあるだろう。でなければ看護婦等を十数人も雇えない筈だ。どうも、この辺にも問題はあるかなと思う。
 それにしても、誰も彼も医者を目指す時代は正常なのかなと思う。確かに医者になれば豪邸にも住めるし、ベンツを乗り回すことも出来る。しかし、優秀な人材が皆、医者になったら他の分野はどうなるのだろうか。医療が優秀な人達に支えられれば、確かに健康は保証され、長生きする人が増えることだろう。国が高齢者で溢れるのは悪くはないことである。しかし、工学や外交、政治に人材が居なくなったら、国は崩壊する。
 日本国民は難民となっても、周りは海だから簡単に他国へは行けない。どうするのだろうか。ともあれ、当分の間は、改革がなされない限り、すべての若者は医学部を目指すことだろう。それを非難することは出来ない。誰だって金が欲しいからである。

和文電信
和文電信を聞いていると、殆どの人が縦ぶれの電鍵を使っています。まあ、年配者が多いのでそういうことになるのかなと思います。次がエレキー。パソコンとかを使っている人はごく少数です。たまに電信解読器でやってる人も居ますが大抵、長続きしないようです。一、二年で聞こえなくなってしまいます。
 解読器は私もそれらしきものを作ってやったことがありますが、とても実用にはなりません。それと目が疲れて保ちません。
 また解読器を使い出すと、短期間でも電信受信能力は忽ち低下した感じがしました。一度透析をするともう駄目になり二度と使えない腎臓とか、或いは骨折した足が半月位で忽ち細くなってしまうのと似たようなことかなと思います。身体は不要となればすぐに劣化するようになってるのかなと思います。
 RTTYなどが余り普及しないのも同じ原因かなと思います。50年前、自宅近くの電気メーカーがRTTYを売り出したので私もやって見ましたが、一年保たなかったと思います。若かったのに目がひどく疲れました。画面をじっと長く見つめているのはしんどいです。今、七メガを聞いていてもRTTYの信号を聞くことは殆ど稀ですね。
 電信をやってる人は大抵無線歴も長いです。恐らく電信習得の熱意がそうさせるのかなと思います。一時、数百万人も居たアマチュア無線ですが、その後止めていった人は殆どが電話級の人達かなと思います。話だけするのなら、携帯で十分ですからね。事実、携帯の普及とともにアマ無線局数は激減しています。
 電信の上達はなかなか困難で若い時に習得出来れば一番楽です。私も現役の時は仕事が忙しくてアマ無線を頻繁にやることは出来ませんでした。それで未だに高速の電信は全部コピー出来ない時もあります。
 電信習得で一番困ったことは、推理受信です。最初の頃、この悪い癖をつけたために、電信受信の上達が大きく阻害されたことは明らかでした。未だに完全には払拭できていません。丁度相撲と同じです。基本の押しをせずに引き落としなどで勝つと、確かに勝率は上がりますが、基本の押しが鍛えられてないので、そういう力士は前頭止まりで終わってしまいます。電信も同じで、ある程度の速度までは推理受信の方が解読率があがりますが、それ以上の高速か、または知らない言葉を打たれると、忽ちついて行けなくなってしまいます。英文のように殆どが定型文交信ならば推理受信でも良いですが。和文電信では、まずは一字受信が電信の基本中の基本です。

PICマイコン
ピックマイコンはお金がかかり過ぎです。PICKIT3だけでも6000円位します。またアダプターも3000円位します。マイコン自体が500円。こうなると、完成品までには軽く3万円はかかるかと思います。従って、CWBOARDの駆動装置を作るのであれば、やはりTTL基板とフォトカプラが最安値です。1000円以下で出来ますから。 マイコンの場合、更に外付け部品や基板など色々と必要です。市販の中には、USBマイコンを使用した、ある程度の完成品もありますので、それを使った方が安いと思います。
 ただ、工作の楽しみは無くなりますが。
 そんなわけで、CWBOARDの駆動装置としてはUSBマイコンを推薦する気になりません。私自身は遊び半分ですので、のんびりとこれからやってみようかと思いますが、金が掛かりすぎるので、製作意欲も低下気味です。早くARDOINOみたいに便利な開発環境が出来れば、PICマイコンももっと多くの人が使うようになるかなと思います。 PICマイコンは人気があると言われてますが、実際、手に取ってみると、手間が掛かり過ぎです。また市販の書籍は殆ど古いものが多いです。それは、やはりその辺のことかなと思います。
 でもまあ、完成しましたら、紹介をしたいと思います。恐らく、作る人は居ないかなと思いますが。

難民
難民というのは気の毒である。とはいえ、若い男であるならば、国に残り、銃を取って祖国のために戦うべきだと思うのだが。自分の国をきちんと出来ない民族が豊かな他国に行って暮らそうというのは、やはり何処か違和感を覚える。
 イギリス国民が難民拒否と言うことで、EU離脱を国民投票で決めたが、その気持ちはよく分かる。流入する難民で自分たちの暮らしを奪われてはたまらない。これは他の国にも波及するとなると、EUは崩壊となる。激動の始まりになるだろう。
 日本でも人手不足から移民が提案されているが、これは難民と同じ事で大きな社会問題を引き起こすことだろう。歴史も民度も違う人達が日本社会でうまく適応できるのは、ごく限られた一部の人達でしか無いと思う。安易な人手不足解消による移民政策は不幸な結果を招くことになるだろう。
 それにしても、アメリカ大統領選の結果も日本にとっては大変な将来を招きそうな予感がする。トランプもヒラリーもどちらが大統領になっても、日本はひどい苦難の道を歩むことになるだろう。 
 21世紀の日本は、今後、明確に自立していかないと亡国の道を辿ることになりそうだ。下手すると日本民族が難民となってしまうかも知れない。
 それを防ぐには、憲法改正と強固な国家防衛機構を確立することが不可欠であると思う。 武力無き国家は明らかに独立国では無い。何時までも平和ボケしていれば、日本に未来は無いように思う。
 先の無い古希老人だが、それでも日本の将来に今の状況では憂慮を覚える。 

臨終期
お金があれば臨終期になっても集中治療室で生き長らえることも出来る。しかし、果たしてそれは幸せなことなのだろうか。お金が無ければ、そもそもそんな高価な部屋に入れなから、早めに死ぬことになるだろう。
 しかし、果たしてどっちが良いのかは簡単には決められない。
 どうせ治る見込みの無い病気なのに何時までも治療を続けるというのは、本人にとってもかなり苦痛なのでは無いだろうか。治る見込みがある程度あれば、まだ希望もあるが、そうで無い場合、治療する意味も分からないし、治る希望も持てないだろう。そんな時間を過ごすことは幸せだろうか。
 ならば、さっさっと死んだ方がましなのでは無いか。とは言うものの、実際、その場になればなかなか生を諦めようという気持ちにもなれないのだろう。かくして、集中治療室で、そこそこの時間を生きることになる。
 先日、麻生副総理が、90歳過ぎて一体、いつまで生きるつもりなんですか、と言ったらしいが、元気ならともかく、寝たきりに近いようなら、なるべく早めにこの世を去った方が良いように思う。人はいつかは必ず死ぬのだから。

股関節
若い時から股関節が少し具合が悪かった。でも若い時は筋肉も強いのでその不具合を押さえ込んでいたらしい。ところが歳を取ると、骨回りの筋肉も弱り、いよいよ、その不具合が出てきたらしい。何か右足の付け根辺りに鈍痛を感じる。痛いと言うほどではない。 極めて不快である。散歩をしていても何かリズム良く歩けない。困ったものだ。
 古希を過ぎると毎日病気や不具合との戦いだと言うが、正にその通りである。大抵は暫く様子を見ていると、自然といつの間にか治ってしまうものも多い。しかし、そうでないものもあるから、楽観は出来ない。
 全身麻酔で手術したのは、今までで二回。二度目の鼠径ヘルニアの時は術後の痛みが半端ではなかった。麻酔科医も担当医も術後のペインクリニックに疎かったのであろう。最初の手術の時は退院まで痛みは一切感じなかった。背中を12センチほど切開したのにである。病気の時は医師を選ぶ訳に行かないから患者は不幸の極みである。
 体調が悪くなると、無線の趣味の方もお休みである。とても気分良く趣味の工作をしている訳には行かないからである。
 最近は電波の伝搬状況も悪く余り聞こえてこない。和文電信も少ない。本当に和文電信をやる人は少なくなったなあと感じる。その内、電信は高齢者のみとなる日もそう遠いことでは無いように思う。

猛暑の季節
猛暑襲来の季節。歳を取ると夏の暑さがひどく身に応えるようになる。若い時は炎天下で運動したり、河で一日釣りをしていても平気だった。それどころか、その焼けるような背中の暑さが快適にすら感じたものだった。
 先日、永く使ったプリンターを廃棄業者に引き取ってもらった。それを二階から下ろすのに業者と二人がかりで、やっとの事だった。階段を二人で担ぎながらゆっくりと下ろした。約40キロの重さ。しかし、これを買った時は一人で抱き上げ、階段など問題にもせず、あっという間に二階に登って行ったものである。いつの間にかに歳を重ねていたことを思い知った。 
 若い時は、毎年夏になると、何か思い出になることが訪れた。だから、暑くても平気だったのかも知れない。大学一年の夏にも色々な思い出が残っている。しかし、50歳を過ぎた頃から、もう夏の贈り物は来なくなった。ただ、暑いだけの夏になった。
 今年の夏も、勿論、もう何の贈り物も来ないことだろう。やってくるのは猛暑だけに違いない。歳は取りたくないものである。

お悔やみ欄
退職してからは毎朝、お悔やみ欄を見るようになった。知り合いの人の名前を目撃するようになったからである。先日、中学時代の恩師の名前を発見した。88歳。まあ短命では無い。或いは十分生きたかも知れない。晩年は目を病んで、何時か訪ねていった時、玄関で、何方でございますか? と問われた。聞けば、網膜の病気ではっきり物が見えなくなってしまったと言う。だから、晩年は何をするにも不自由なことだったろう。改めて恩師の一生を振り返ると、最初の結婚は短くて終わり、その後は長く独りだったようだ。だから、時に風俗嬢との話も直接、聞いたことがある。温厚な人だった。運に恵まれず、余り出世することも無く退職した。
 人の一生とはどんな意味があるのだろうか。偉くなる人も居るし、そうで無い人も居る。しかし、いくら偉くなっても最後は病んで死ぬ。死ねば同じである。
 人生の意味を問いたいが、問うてみたところで、そこに意味のある答えは無さそうである。それなら、問うことを止め、好き放題に生きて死ぬのが最善かも知れない。
 ずっと以前、一緒に仕事をした先輩が居た。職場の席が隣になった。すると、ある日、先輩が独り言のように私に言った。
「あんたは、全てに於いて卓越しているよ」
 彼は五十五歳を過ぎていたが係長にもなれてなかった。全くの平である。噂に寄れば、先祖伝来の田端を売り払い、週末は芸者を上げてどんちゃん騒ぎをしていると言う。
 翌年以降、部署が変わって彼と顔をあわせることはなくなった。やがて彼は退職した。 数年後、ある朝、お悔やみ欄に彼の名前を見つけた。早すぎる死である。知り合いに彼の最後を聞いた。風呂場で溺死とのことであった。あり得ないこと、だから覚悟の死であったのかも知れない。しかし、田畑を殆ど売り払って豪快に遊び尽くして死んだのだから悔いは無かったかも知れない。
 社長になったから、医学部教授になったから、大臣になったから、そんな風に偉くなったからいい人生だった、とは限らないように思う。地位や金を得てもたかが知れたことである。それで満足したければ満足すればいい。
 人はそれぞれの生き方で、人生を全うすれば、それで良いのだと思う。長い人生も短い人生もそれなりに良さがあるように思う。早く死んだから駄目でも無いと思う。光芒の輝きは一瞬にぞあらん。

テロ行為
終わるところの無いテロ行為だが、その根源はやはり富分配の格差にあるような気がする。西洋社会はいわば格差社会である。貴族階級に始まって、つい最近まで奴隷制度もあった。 だから、会社の社長が何億円も報酬をもらうという例が珍しくは無い。また、それを異端視する意見もまだ少ない。西洋社会全体が階級制度を認めているからである。第二次大戦後も戦勝国の西洋は制度の変更が無かったから、いわば中世が、未だに存続している社会なのである。
 レストランで、スプーンがテーブルから落ちた時、日本人なら自分でそれを拾うであろう。西洋人はそうはしないと言う。必ず、スタッフを呼んで拾ってもらうと言う。本当かなと思うが、多くの書籍が言ってることだから、恐らく事実なのであろう。またマナーなどでもそう指導している例もあった。文化だからと言えばそうだが、正に階級社会である。 その階級社会の西洋であっても、いくら社長だからと言って、自分よりも何百倍もの報酬をもらっていることは、内心、下層階級の人々からすれば、やはり面白くないだろう。 この小さな不満が、やがて蓄積して社会不安、テロ行為を引き起こすのだろう。
 要するに、視点を変えれば、この富の格差が歴史を動かしてきたと言えよう。格差が無くならない限り、テロ行為は起きるであろう。絶望した若者にはそれ以外、他の選択肢は見えないのだと思う。
 かといって、共産主義は格差消滅に何の役にも立たないことが証明されたから、何か他の思想を人類は取り入れる必要があると思う。資本主義はすでに限界に来ていると思う。資本主義だけでは、単なる野放しである。良い筈が無い。
 誰か、新しい社会体制、経済構造を立案してもらえないだろうか。そうして、テロの無い社会を実現してもらいたいものである。

高湿度
最近の高湿度で不快感最大となっていた。股関節が何か不快と感じていた。ところがそうではなかった。夏風邪であった。夏風邪は私の場合、殆ど症状が無いのでいつも見逃しやすい。咳も出ないし、喉も腫れず鼻水も出ない。昨夜、少し寒気がするので蒲団を掛けたら汗が沢山出てきた。それで風邪だと分かった。
 風邪を引くと、身体のセンサーが色々と狂うので、それで不快感違和感を感じるらしい。下痢をしたり、筋肉痛も生じたりする。これ全て風邪が原因である。年寄りは風邪で死ぬと言われるが、その通りで最後は風邪ウィルスにやられてしまうようだ。
 風邪で寝てたら、トルコやフランスの事件を新聞が報じている。世界は激動していると改めて思う。日本はほんとに平和で良いと思う。これも日本人の英知のお陰だと思う。
 とはいえ、最近は移民政策も言われるようになったので、これは是非、慎重に考えてもらいたいものと思う。
 移民は文化や宗教をも背負ってくる。決して労働力だけを持ってくるのでは無い。そこを忘れないでもらいたい。イギリスもフランスも今や、移民の町が彼方此方に出来て苦慮しているという。イギリスに住みながら、母国語の集団で暮らしているという。これではイギリス人が国を占領されたと思うのは無理ないことと思う。それが今回のEU離脱に繋がったのである。
 フランスではイスラムの服装問題が未だに解決していない。ブルカなどの先進国から見れば、極端すぎる服装だがそれがイスラムの正装なのである。移民として招く前にそれは全く考えなかったのであろうか。宗教の習慣は是正することは不可能である。その宗教が消滅しない限り。だとすれば、服装問題には解決策はあり得ない。
 移民では無いが、ほぼ同じ構造としてアメリカの黒人問題がある。単なる労働力として利用したいとして、数百年前、アメリカは黒人を強制的に自国に連れて来た。そうして確かに黒人はアメリカに空前の繁栄をもたらした。
 しかし、それは正しい選択であったろうか。今の黒人問題を見れば、そうで無いことがよく分かる。アメリカの黒人問題は永久に解決されないと思う。黒人の国でも作って分離する以外、方法は無いように思う。
 そもそも、無料の労働力を利用しようという、アメリカの魂胆が間違っていたのである。 間違った前提から良いものが生まれる訳は無い。
 アメリカは今、その膨大な借金のツケを払わされているのであり、それは永久に続くことであろう。(2016.07.17)

都知事選
都知事選は三人に絞られましたが、どうも小池さんが当確かなと思う。鳥越さんは76歳ですから、立派だと思いますが、あの高齢では無理でしょう。やはり年齢もある程度は考慮しないと。増田さんは何か積極性に欠けましたね。推薦されたので出馬という形には何か余り熱意を感じませんでした。その点、小池さんは自ら手を上げた訳で、その積極性は評価したいと思います。
 とはいえ、誰がなっても東京が著しく変わることは無いでしょう。そう思うと、何かまた選挙をしていることが空しくなります。桝添さんに、公私混同はしないと約束させて、続投させたとしても同じ結果だったと思います。むしろ、事務能力や政治能力だけ考えれば、桝添さんの方が卓越している感も否めません。
 パソコンのプログラムでも、いいと思ったコードに書き換えてみたら、逆にもっと悪くなってしまったというのは珍しくありません。そこで、とりあえず、うまく稼働しているシステムは修正するな、と言う名格言がプログラマーの間に生まれました。気楽に改良しようとすると、より改悪になる事が多い、と言う沢山の経験から生まれた戒めですね。
 今は、都知事選がそうならないことを祈るだけです。(2016.07.18)

ポケモン
ポケモンゴーが世界を揺さぶっている。けれども、それは囲碁将棋と同じゲームだから悪いものとは思っていない。私自身はテレビゲームはした事が無いし、余り興味も無い。パソコン初期の時代にゲーム製作法自体には少し興味があったので、ゲームを作った事があった。しかし、それはコンピュータ言語の習得という面からであった。
 昨日、公園に行ったら、大勢の人が居るのでびっくりした。よく見ると、皆、スマホを保って歩いている。これか、と閃いた。何とも平和なシーンだと思った。大人も子供もスマホを見ながら歩いている。その平和は悪くは無い。
 でも、その一方で一家心中や殺人事件などもメディアでは報じられている。また世界中でテロが頻発している。これは何だろうか。
 どうも社会的格差の拡大が、一層ひどくなっているような気がする。それがやはりテロの原因となっていると思う。簡単に言えば、貧困が暴力を呼び起こしているのだ。
 これは何時の時代もそうだった。世界の国々は格差の緩和を考えていかないと、これからますます社会的不安定が増大すると思う。
 ポケモン現象は微笑ましいが、その背後にあるものを考えると、これからの世界は一層熾烈な戦いの場面がやってくるように感じる。そうならないように切に望みたい。もっとも、古希の私にはもう余り関係の無い将来かも知れないが。それでも子孫には平和な日々を送ってもらいたいと思う。(2016.7.24)

リオリンピック
リオオリンピックが明日開幕される。テレビ報道等で知る限り、これは大変なオリンピックだなと思う。何かが起こりそうな予感がする。ブラジルはオリンピックどころでは無いように思える。貧民街が取り壊される映像があったが、オリンピックよりもそちらの対策が先では無いか。
 それともう一つ、国が内乱で戦火に暮れている時に、その国からオリンピックに参加するという意識はどのようなものか、些か推測に悩む。
 まずは国に残り、銃を持って敵と戦うべきと思うが。自分の国の興亡よりも自分がメダルを取る方が大切なのだろうか。
 どうも最近のオリンピックを見ていると、完全な商業主義となり、IOC も参加選手も金、金、金のみと感じる。こんなオリンピックが世界の平和に役立つとは到底、思えない。 オリンピックで勝ち負けを争い、国威発揚を目指すのを止めた方が良い。そうすれば、ドーピングなども皆無となるだろう。勝ち負けの無い祭典にすれば良い。
 やがて貧困に喘ぐ者がオリンピックを破壊する日が来るのでは無いか。
 (2016.08.04)

北方領土
北方領土、安倍首相は渾身の力を込めてやったと思う。しかし、すぐにはどうにもならない。それは仕方の無いことである。プーチン大統領にしても彼一人ではどうにもならないからだ。国内世論が不可欠なのである。
 ロシアは今、日本や欧米各国から経済制裁を受けて、国際的に孤立しているのである。だから、ナショナリズムが高揚している。ウクライナの問題を見れば分かる。不法にクリミヤ占拠しても、プーチンの支持率は85%である。こんな状況で日本に領土を返還する雰囲気になるはずも無い。
 現在、経済制裁をしている日本と平和条約を結び、領土を返還する気持ちには、到底、なれないだろう。よく考えれば、至極、当たり前のことである。いくらプーチンと阿部さんの個人関係が良くても、それは無理というもの。
 ロシアと世界情勢が変化しなければ、領土返還はあり得ない。また、その前にロシアが真の民主国家に変貌しなければ駄目である。ロシアはまだまだ共産国家、ソビエトの遺影を引きずっているのだ。
 最近の伝搬状況は最悪である。トランシーバのスイッチを入れても雑音すらも聞こえない時がある。五十年間でこんな事は初めてである。
 電離層に大きな変化が起きていると思う。それは地球の異常気象と大いに関係があると推測する。何か大きな天災の前触れで無ければいいがと思う。(2016.12.16) 

この一年
今年も終わる。前半はマイコンで電信送信機を製作していてなかなか楽しかった。意図が成功して十分な成果を上げる事が出来た。CQ誌にも掲載してもらって僅かながらも原稿料がもらえた。引き続き、USB接続を試みたが、コンパイラが余りにも高価格なので諦めた。趣味だからソフトは無料でないと使う気にはなれない。
 最近はコンデションは悪すぎて無線機のスイッチを入れても微かに聞こえてくるだけである。こんな事は今まで経験した事はなかった。よほど、電離層の状態が大変化を引き起こしているだと思う。無線の会話が聞こえてこないのは初めての事だが、やはり、いささか寂しいものだ。
 71歳だが今年は体調が余り良くなかったと思う。特に腹具合が良くなかった。亡父は大腸ガンを患った事があるから、年が明けたら内視鏡で見てみようと思っている。亡父は手術後20年間健康に過ごし、95歳で亡くなった。内視鏡は8年位前に一度やっている。どんな検査も不安で厭だが、何もしないで居るのは更に不安だし、最善は尽くすべきだと思っている。
 十数年前、和文電信で毎日のように出ていたJA7の人が、もう五年位前から全く聞こえなくなった。恐らく亡くなられたのだと思う。サイレンキーは寂しい事である。いまでもあの独特のキーイングをはっきりと覚えている。
 それを思うと、電信の送信は手打ちの方が遙かに味わいがあると思う。最初の一文字を聞いただけで、ああ、あの人だなと分かったものだ。その人のコールサインを言えば、ご記憶の人も必ずおられると思う。 
 しかし、私自身は、もう手打ちは無理。肩が痛くなって三分も持たない。だから、私はパソコン送信も仕方ないと思っている。
 来年はコンデションが良くなればと願っているか、どうなる事か。昭和40年頃、学生だったが、夜になると、世界中の局が聞こえてきたものだ。10ワットなのに沢山の外国局と交信出来た。アフリカのCR7の局と交信できた時は飛び上がった。
 もう今は、外国局とやる意欲はなくなったが、国内局とはのんびりと交信したいと思っている。来年が素晴らしい年になりますように。(2016.12.29) 

昼下がり
昼下がりの渋滞の中で退屈していた。ふと車窓の外に目をやると、広い歩道を男女の高校生が自転車で並走している。よく見ると、二人で手を繋いだままである。
 いいなあ、羨ましいなあ、と思わず声を上げそうにすらなった。青春の真っ盛りの中、もう冬休みだから、これから二人で何処かに行くのだろう。その後ろ姿を見ながら、見も知らぬ二人に、幸せになれよ、と祈っている自分に気づいた。
 自分にもほんの僅かだが、確かに青春の時代はあった。いくつかの恋に巡り会った事もあった。しかし、青春の恋はいずれも儚く消えて行ったものだ。いや、それは私に限る事であって他者には当てはまらない事だ。恐らく私よりも魅力ある男と出逢ったから、彼女は去って行ったのである。
 雄の一生は雌を追いかける事に終始して、やがて年老いてその一生を終わるらしい。私も古稀を過ぎて、もう一生の殆どは終わってしまった。後は、何時の日か、病気になってこの世を去る事だろう。そのように最近まで諦観していた。しかし、ここに来て少し考えが変った。
 それはなんと言ってもトランプ大統領の出現である。
 70歳で有りながら、これからもしかしたら8年間も激職に従事するわけである。これは驚き以外の何ものでもなかった。60歳位ならよく理解できる。しかし、70歳である。 多分、トランプ氏はアメリカの現実に居ても立っても居られなくなったのだろう。成功している今の日々を投げ打っても、アメリカを立ち直らせたい、と言う強い思いに駆られて、政治経験ゼロにも関わらず、大統領に立候補したのだろう。
 今のまま、悠々と過ごす方が楽しいと思う。彼の艶歴からすれば、これからも沢山の美女が周りに集まってくる事だろうし、金も有り余っている。何も今更、権力闘争の坩堝に飛び込まなくても、いいではないかと普通の認識なら、そう思うところである。 
 そう思わない何かが、彼を大統領に駆り立てたのだろう。
 これからアメリカは大きく変わる事になるはずだ。オバマ氏は善良な人間ではあったが、大統領職にはどうやら向いていなかったと判断される事になるだろう。それは現在のアメリカの低迷を見れば明らかな事である。
 make america great again 、これが今後、どの位実現されるのかは全くの未知数であり、相当の困難を伴うものと思う。しかし、70歳でこれに挑戦するトランプ氏に最大の敬意を贈りたいと私は思う。
 後は病気になって死ぬだけだと思い、年々、興味の対象が減って、やる事が少なくなった。また新しいものに挑戦する事は皆無であった。ここで目が覚めた。そうであってはならないと思った。今までいつも、夢を追え、と自分に言い聞かせて生きてきた。またあの時の自分に戻るべきだ。私に、突然の雷光をもたらしたトランプ氏に感謝したい。これからは歳を意識せず、死ぬまで可能性を信じて、夢を追って生きていこう。
(2016.12.31)

学費
大学の学費はアルバイトで調達していたから、自力で大学を出たと思っていた。親の世話にはならなかったと自負していた。ところが、最近になってそれは間違いだったと漸く気づいた。当時は家庭が貧しくて高校に行けない同級生も沢山居たのである。それを何も言わず、親は高校に行かせてくれたのだ。子の方は、それが当然だと思っていた。それが当然でなかったことは、他の家庭を見れば明らかである。親しかった友達も高校に行けず、中卒で東京に就職した。大学は確かに地元だから学費のみだが、それだって家庭がしっかりしてなければ、やはり大学に進学することは出来なかっただろう。
 古稀を過ぎてから、やっと親の恩に気づいた。それが当たり前だと思うから、親に感謝の念が起きなかったのである。それは当たり前のことではなかったのである。
 孝行したい時には親はなし、と言うが、今更である。子は親の心知らず、親は子の心知らず、と言うが、それも全くその通りである。
 感謝というのは、当然だと言う間違った思いからは絶対に生まれないものだ。私の比較の対象が間違っていたのだ。裕福な家と比較すれば、高校位は当然である。しかし、貧乏な家と比較すれば、高校に出してもらえることは本当にありがたいことであると分かる。 とは言え、両親に対しては沢山の不満があった。その全てが私の間違いだったとは思えない。親の対応が不適切であった場合も多かったと思う。しかし同時に、子の私の対応も不適切であった場合が、やはり多かったのだろうと思う。
 よい親子関係を築ける人も中には居るようだが、多くの親子には困難な親子関係が介在する様に思う。賢明と評判の有名人に於いても、気の毒な親子関係があることを知ると、親子関係ほど難しいものはない、とつくづく思う。
 親も子も、双方が、半分ずつ良くて、半分ずつ悪いから、なかなかお互いに自分の欠点が見えないことが、問題を一層悪化させているように見える。もし仮に、はっきりと一方的に、親または子がひどく悪ければ、それは比較的早期に、悪い側が非を認めることが可能となるに違いない。
 古希過ぎて、私の人生ももう余り残りはないが、私のような子供を持った両親も相当、気の毒だったなと思う。とは言え、私自身は学校生活で問題を起こしたこともなく、また大病をしたこともなく、社会に出てから何か事件を起こしたわけでもなく、ごく普通に人生を渡ってきたから、その面では親に心配を掛けた事はなかった。その点では両親は安心だったろうと思う。その辺は親孝行だったとも言える。それがせめてもの亡き両親に対する罪滅ぼしだったかな、と今になれば思う。
 人生は全て運命の産物であると思っている。何が起きても驚くほどのことは無いと思っている。人生は夢のようなものであり、あっという間に終わってしまうものと思っている。生まれた瞬間に、その人の人生は発射された砲弾のように着地点が決まってしまうと言うことである。なるようにしかならないのが人生だと思う。その人に訪れた現実は全て正しいのである。物事はなるべくしてなると言うことである。 
(2017.01.03)  

電離層
最近のコンデションが悪すぎて殆ど交信していない。それでたまに和文を聞いている。電信の方が少しは聞こえるからである。しかし、聞いても短時間である。と言うのも、和文電信は殆どが決まり切った形のが多いからである。こうなると、聞いていてもつまらなくなってしまう。確かに複雑な内容のやりとりは相当電信の聞き取りが上手くないと無理である。
 英語の場合はラバー交信が全てであると言っても過言では無い。和文の場合も普通の交信は全てラバー交信である。従って猛烈な速度で打っても分からない事は無い。しかし、そういった交信は一年もやると、大抵飽きてしまう。同じ内容ばかりだからだ。
 やはり、和文である程度、内容のある交信をするには電信の聞き取りに習熟しなければならない。そうでないとつまらない。
 とは言え、電信の習熟は年月の掛かる事である。これが中学高校生ならば、3年もあれば達人になると思う。でも、25歳を過ぎるとなかなか上手になるには相当の時間が掛かると思う。電信をやる人が少ないのはそのせいである。恐らく、その内にはほんの僅かのの人達だけになってしまうのだろうと思う。まあ、趣味だからそれは其れでいいとは思うが、何か寂しい感じがする。
 電信解読器を使えばいいではないか、と言う話もあるが、それを使っていて、電信をアクティブに長く運用している局は一人も知らない。そもそも、解読器を使って電信をやるのはスタート点が違うのかも知れない。言い換えれば、電信に対する熱意である。
 自分の頭で暗記受信をしたいと言うのは、長年にわたる猛烈な熱意が無いと達成できない。対して、解読器は電源スイッチを入れれば、その日から使える。これではやはり、電信に対する熱意が違うのは当たり前である。
 とは言え、たかが趣味である。楽しみ方は人それぞれでいい。だから、解読器で楽しむのも一つのあり方である。否定するつもりは無い。ただ、電信にすぐに飽きてしまう事だろうとは思うがどうか。
 こんな事を書くのは、電信愛好者が増えて面白い和文の交信を聞きたいからかも知れない。以前は、なかなか面白い交信があった。あの頃の人達はもうかなり鬼籍に入られてしまったのだろうか。それらのコールサインは、もう長い間、耳にしていない。(2017.01.08)

トランプ大統領
1月20日にトランプ大統領の就任式が行われる。ところが民主党の議員は60人近くが欠席だという。自分の思い通りにならないと言う事で、正式な選挙の結果を否定するのであれば、それは民主主義の否定であろう。
 一部のセレブも反対デモを行うという。女優達も自分と同じ意見でないものを排斥するというのなら、それも民主主義の否定である。金持ち階級が自分のわがままを押し通せば、民主主義は終焉を迎えるだけだ。
 20日の就任式は混乱が予想されるが、此処を切り抜けないとアメリカの未来は無い。 民主党の幹部も議員達に出席を促すべきである。欠席は民主国家アメリカ否定なのである。拱手傍観しているべきでは無い。
 それにしても、既成の富裕層に挑戦するトランブ氏の前途は予断を許さないものがある。 数多くの困難が予想されるが、半世紀前のケネディ事件の再来だけはお断りである。これが起きたら、アメリカはもう立ち直れないかも知れない。ケネディ事件も反ケネディ陣営の仕業だとされる。それも国家規模の暗躍があったとの噂すらもある。そんな事になったら、アメリカは銃声が跳梁跋扈する、ただのギャング社会になってしまう。
 此処は何とかして、トランプ氏の凱旋を期待し、アメリカの復興を切に願うものである。 アメリカは再び世界の警察官になるべきである。そうしなかった結果が、世界の彼方此方に戦争を引き起こしているのである。アメリカは優柔不断なアメリカであってはならない。
 善意の人、オバマ大統領の反動で必然的に、トランプ大統領が誕生した訳だが、是非とも、トランプ大統領にはこの難局を乗り越えていってもらいたい。(2017.01.19)

アメリカ
私の人生も後残り少ないが、此処に来て楽しみに出会えた感じがする。それはトランプ氏である。氏の70歳からのエネルギーに感服していることもあるが、それ以上に、政治家として、初めて選挙中の公約を約束通り実行している点に瞠目している。今までの政治家は、選挙が終われば、公約は何処吹く風であった。これからどんな風にアメリカを改革していくのか、極めて興味ある。このドラマの行き先は大変に楽しみである。
 それにしても、アメリカはまた新たな南北戦争の時代に入った感がある。選挙で選ばれた、大統領にこれほどまでに反対デモをするのは珍しい。選挙の結果にこれほど反対するのであれば、選挙そのものが意味を失うことにアメリカ国民は気づいていないのだろうか。
 恐らく、それはどちらの陣営が勝っても、選挙後に激しいデモが起こるのだろう。
 大統領令に判事が反旗を翻して大統領令を無効にしたが、この辺も興味深い。
 確かに近代国家は三権分立である。しかし、三権分立がその言葉通りに機能したら、国家は動かなくなってしまう事だろう。
 緊急かつ重大な事例の場合、、特に外国との折衝の場合、判事が口を出して、大統領の決定が実行されないとしたら、国家は回復不能の敗北を喫するかも知れない。三権分立は飽くまで建前に過ぎない。法治国家とは言うが、法は、緊急の場合、人間の上ではなくて下にあるべきものである。いわば、国家的決定は緊急避難の例なのである。
 法は人間社会を円滑に運営する上で必要なものである。国家が法に縛られて自縄自縛となるなら、それは本末転倒である。
 簡単に言えば、国の親分は判事なのか、大統領なのか、と言うことである。
 この辺もトランプ氏の周辺が法の呪縛を克服して、どのように今後、この事態を解決していくのか、大変興味深い。
 それにしても、アメリカの富豪は桁違いである。中世の身分制度がそのまま継承されているからだ。未だに貴族社会が温存されているのだ。それ故に、欧米の社長は高額所得を当然と思っている。日本の社長とは大違いである。この格差の拡大はやがて社会の底辺に大きな不気味なエネルギーを蓄える事になるだろう。そうして、歴史はまたおなじ事を繰り返すのか、それとも人間の叡智が平和的解決法を見いだすのであろうか。
 分断されたアメリカに激動の歴史が訪れる日は恐らくあるだろう。出来れば、それを見てみたいが、その頃、私はもう生きては居ないだろう。  (2017.02.14)

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今朝の新聞
今朝の新聞を見たら、トランプ大統領の政策についての評論が載っていた。読んでいて、平和ボケも甚だしいと思った。政治が混乱して国家が機能不全に陥る方が独裁国家よりもマシだ、と主張していた。果たしてそうだろうか。国家風雲の時に、国家の機能が麻痺していたら、外国の敵対勢力に忽ち占領破壊されてしまうと思うがどうか。
 まるで、一つの国家が機能麻痺に陥っても、外国勢力は絶対に攻め入って来ないと言う平和主義を心底信じているらしい。これは平和ボケ以外の何ものでもない。
 社会的に識者と認められる人がこんな思想を持っているようでは、知識人というのは全く当てに出来ないと言う事がよく分かる。テレビなどに出て来るコメンテーターは芸能人であるから、何を言っても看過出来るが、一応の知識人であれば、余り頓珍漢な事は言うべきではない。
 恐らくトランプ大統領による国家の混迷振りを、三権分立の立場から擁護する発言なのであろうが、世界は依然として敵対勢力が彼方此方に存在する事を忘れてはならない。世界はそれほど平和でも何でもない。戦後70年、地球上に銃声が途絶えた年は一度もなかった。その事を強く認識すべきである。
 いずれにしても、アメリカがリーダーシップを取らないと世界が混乱する事は必至である。オバマの8年間が如実にそれを証明している。オバマ氏は演説は卓越していたが、実質はゼロであった。口ばかりで実行が何も無かった。これに憤慨したアメリカ国民がトランプ氏を新たに選出したのである。
 オバマ大統領が何か一つでも意義ある政策を実行していたら、トランブ氏は大統領に選出される事はなかっただろう。
 アメリカは新しい秩序に向けて歩み出した。アメリカ国民も選挙でそれを表明した。ここ暫くは混迷が続くかと思うが、建前だけの三権分立で国家が機能麻痺に陥る事は何としてでも避けねばならない。いずれにしても、今後の世界で頼れるのはアメリカのみである。それは中国でもない。ロシアでもない。ヨーロッパでもない。それを思えば、アメリカの再出発につよく期待し、支援したいと思う。(2017.02.20)

ノート
50ページのノートを買いに行ったら、三冊しかなかった。店員にもっとないですかと言ったら、言下に、ありません。40歳くらいの愛想のない女だった。50ページのがやはり欲しかったので、ネット通販を探してみた。すると、地元では440円のものが310円で買えるとわかった。しかも送料は無料だという。なので、これからも使うので10冊も買ってしまった。130円も安く買えるとは驚きであった。手元に来るには三日ほどかかったがそれは何の支障もないことであった。
 通販を利用した事が無いわけでは無かった。幾度かはあった。例えばLEDを10本買うと300円で、送料が800円とかであった。それは地元でどうしても手に入らないものを買う時であった。
 しかし今回の経験から普通のものでも通販を利用した方がいい、と分かった。明らかに安いとわかったからである。しかし、これではますます地方の店はすたれて行くことは間違いない。緊急に必要なときは買うがそれ以外では通販が安いのだから。それに電機部品でも余り使われない珍しいものは、大抵、地方の店には置いて無い。売れないから置かないのである。すると、やはり東京の通販に頼むしか無いのである。
 最近は、送料無料の通販が増えて来たらしい。こうなると、もう間違いなく東京に頼むことになる。学生の頃、よく通った市内の小さな電気部品店は既に活路を失っている。
 こんな事になるとは何十年前には、誰も予想しなかったことであろう。

小池知事
小池知事の疾走振りは実に見事であるが、どうも最近はその手法に必ずしも賛意を覚えなくなった。確かに、今までの都議会のドンに対する戦いは無条件で都民の賛成を得られたと思う。そうして、また新たな敵を探して叩き、人気獲得を試みた。それが石原氏だ。 しかし、石原氏と内田氏は全く次元が異なる。柳の下にドジョウは二匹とは居ないだろう。石原氏に裁可責任と言うが、確かに責任はあるが、それは厳密には東京都と言う法人の責任である。石原氏個人に責任を問うのは正しくはない。500億円の賠償責任は東京都が、もしあるとすれば、負うものである。
 しかし、瑕疵担保責任を余り好い加減に適用すれば、自治体の知事や総理大臣にしても何も出来なくなってしまう。最初から出鱈目なことをやったというのであれば、これは勿論、責任を追及されるべきであるが、物事は決着するまでには色々な要因があり、最初から最後の段階までを鮮明に見通せるものではない。それを後出しじゃんけんの要領で、結果責任を問うのは、些かやりすぎだと思う。
 小池氏にしても、氏の現在行っている政策が十年後、不本意な結果を招いたときに、その責任を個人で負うつもりなのであろうか。そんなことをしていたら、とても政治家はやっていけないであろう。
 物事の状況は常に変化する。的確な将来を予想することは極めて困難なことである。瑕疵担保責任を無制限に適用することは何の意味ももたらさないことを知るべきである。
 小池氏の支持率は今が最高潮だと思うが、この支持率が下降したときに、小池氏にも同様の運命が待っているとしたら、これ以上の皮肉はないものと思われる。
 余命幾ばくもない身には、世情のことはもうどうでも良いのだが、それにしても、人間というものは、気に入らない他人に対しては極めて冷酷無残に振る舞うものだと言うことを改めて知らされた事である。(2017.03.04) 

奥様
安倍首相の奥様の型破り振りは以前から報道されていたが、今回はどうも大変なことになりそうで憂鬱である。今、国際的に日本が周辺国との間で、いわば危機状態にある時、安倍首相が退陣となったら、日本は終わりだと思うからだ。
 専業主婦で終わらず、女性が色々なことをやるのは構わないが、夫の仕事の妨げになっては、やはりまずいのでは無いかと思う。
 昭恵夫人は、夫が総理になってから、色々、人から頼まれたりもします、などと講演会で述べていたが、これは大変なことだと思わないのだろうか。色んな人が昭恵夫人に頼むのは夫が総理だから、色々と利点があると思って頼むのである。決して、昭恵夫人が何か特別の能力を持ってるから、それでお願いするというのではないだろうと思う。
 あくまで安倍総理ゆえである。夫婦は別人格だから、行動は自由であってもいいが、他方に良くない影響が及ぶのは避けるべきである。
 予想外の火の粉が降りかかり、安倍首相は国会答弁でも困惑している様に見える。政治の世界は一寸先は闇というが、それは政治の世界に限らず、この世はすべて一寸先の闇である。青天の霹靂で安倍首相退陣となれば、それは日本にどのような運命をもたらすかと思うと、ぞっとする。それは、今の政界を見渡して日本の首相たるべき人物は一人もいないからである。
 それにしても、日米のファーストレディが、双方、メディアなどで型破りと報道されているが、それはあまり嬉しいことではない。トランプ氏が途中で退陣となれば、これまた日米関係は危殆に瀕する事になり、同時に、世界は激震に見舞われることになるだろう。
 日米のファーストレディは、夫がその職を全うし、引退するまでは静かに専業主婦でいてもらいたいと切に願うのは、果たして私だけだろうか。
 

万物流転
最近、欲しい部品があって市内の電気屋に行った。そこは学生時代によく通った無線部品専門の店である。通販でもよいのだが、出来れば早く入手したかった。
 ドアを開けて中に入って、一瞬、驚いた。店内はまるで物置のように見え、あちこちにガラクタが転がっている。先代の父親がやってる時は、決してこんな事は無かった。店内は綺麗でショーケースに入っている商品を興味深く眺めたものである。
「時代は変わりました。もう商売になりません」
 何時か、その若い店主は嘆いたものである。その気持ちは十分分かる。確かに時代は変わった。もう電気機器を自作をするような人は稀であろう。しかし、それならば、その時代に合わせた戦略を立てて、店を改造すれば良いだろう。父親から受け継いだ店を何もせずに潰してしまうのは、正に無能では無いか。
 この店は学生時代、講義をサボって自宅で連日、無線機を作っていた懐かしい思い出に繋がる場所である。それ故に、その凋落振りを見ると、何とも言えぬ悲しみに包まれた。自分と深い関わりの合ったものが消えて行くのは、どうしようもなく寂しい。 
 そういえば、私が通った大学の校舎も取り壊されて、今は跡形も無い。 跡地には大きな県民会館が建っている。行けば、この辺りがキャンパスで好きな彼女と話をした鉄棒はあの辺だなと思い出すことがある。しかし、大学の講義には殆ど出なかったから、大学に愛着は感じていなかったようである。その証拠に校舎が消えても特に喪失感を覚えた記憶は、いくら思い出しても全く無い。
 去年、実家の土地を売り渡した時は無性に寂しかった。それ以来、実家の土地の近くに行っても、意識して遠回りをする自分に気づいた。もう二度と、あの土地の前を通ることは無いと思う。(2017.03.18)

中学の同級生
春休みのこの時期になると、決まって中学の同級生を思い出す。入試の発表が終わり、入学まで何もすることが無いので、ある日、その同級生の家に遊びに行った。彼の家は線路の近くだと聞いていたので、線路沿いの道を天川町の方へどんどん歩いて行った。少し汗ばんできたが、休まず歩いていると、聞いた通り、庭に大きな木がある、瓦屋根の豪壮たる農家が見えてきた。
 納屋が彼の勉強部屋だった。広い納屋で冬は相当寒いという。
「ヒマだなあ。早く高校が始まらないかなあ」
 如何にも退屈そうに彼は言った。その言葉を57年後の今もはっきりと覚えている。彼は早稲田に行き、私は浪人した。翌年、私が地元の国立大に入ると、彼から連絡があって、市内の小さな喫茶店で会った。
 暫く振りに会った彼は如何にも東京の学生に見えた。私は地元の学生。何かそれまでの立場が逆転したような感じになった。それっきり、学生時代は会うことはなかった。卒業して彼は大阪の方に就職したと風の便りには聞いたことがあった。優秀な男だったから、会社でも相当の地位に登り詰めたと思う。
 50歳の春、彼から手紙が来て、今度、群馬の実家に帰るので、是非、その時に会いたいとあった。勤めが大阪から徐々に東京に上がって来たとのことであった。最後が東京だと言うことは会社でも相当の幹部クラスになったのだろうと思った。
 勿論、逢いたい気持ちはあったが、彼の華やかな人生を想像すると、とても逢う勇気は奮い起こせなかった。それで、今は逢えないと断ってしまった。彼からの連絡は途絶えた。
 それから二年後、不意にある日、葉書が舞い込んできた。見ると、黒枠の葉書だった。彼の死を知らせる葉書であった。死因を知りたくなって彼の奥さん宛に手紙を送ったが、返事は無かった。
 相当の喫煙家だったから恐らく肺がんでは無いだろうか。死を覚悟した時、私の住所を奥さんに伝えて、ここに知らせてくれと言ったに違いない。どんな思いで亡くなったことか。子供のこともまだ心配だったに違いない。
 なぜ、あの時に逢わなかったのかと、その後、思い出しては悔やんだ。 彼は英語が得意で私に言ったものだ。
「英語はアクセントだよ、一番大事なのは」
 彼から聞いたその知識が、それ後、どんなに役立ったことか。
 

1999年
1999年5月に母が、2008年5月に父が亡くなった。  両方の葬式とも地元に居る唯一の子供として、私が手配した。誰でもそうだと思うが、葬式は初めてのことだから忙しかった。
 しかし悲しみは何も感じなかった。ただ、妙な空疎感だけは残った。ともあれ、滞りも無く無事に終わった時はホッとしたものだ。
 後日、テレビで有名なタレントが実母の葬式で人目も憚らず、涙を流しているのを見て羨ましく思った。 
 父没後8年ほど過ぎた。しかし、亡くなって後でさえ、相変わらず父母に対する恨みのような感情は消えなかった。ところが、ある日、ふとしたことが切っ掛けになり、私は自分の考え方の間違いに気づいた。
 第一は、要するに、人間の評価法が間違っていたのだ。
 それは他人に厳しすぎたのだ。若い頃から、友人関係でも何か気に障ると、もうつきあいをそれっきりにしてしまった。それと同じ事を、いや、それ以上に厳しい態度で父母に接していたのである。だから、父母と上手く折り合える筈はなかったのである。
 人間は多面的な存在である。良い点もあれば、悪い点もある。それを悪い点ばかり見て父母を評価していたのだ。良い点悪い点、少なくとも二面から評価しなければいけなかった。この視点に立てば、父にしても良い点と悪い点の比は、70対30位かも。母にしても同じだろう。すると、父母は総合的には良い人間だったと言うことになる。この二面的な評価が何故出来なかったのかと悔やまれる。
 父も母も普通の人間である。良い点ばかりの100点と言うことは絶対有り得ない。神様では無い。私自身は全く気づいてはいなかったが、父母に100点の人間で無くてはならないという、厳しい評価を押しつけていたのである。
 翻って、自分はどうか。自分が100点の息子だったかと言えば、そうでは無いだろう。いや、50点にも行かなかった。自分は50点にも行かない癖に父母には100点を要望していたのは、決して公平では無かったろう。それは自分勝手というものだ。いや、普通に馬鹿と言えるだろう。
 他人に厳しく自分に甘いのは、世間一般の多くの人間に見られることだが、私自身がそうだったと言うことである。
 第二は、父母を他の父母と相対的に見てなかったと言うことである。世間には父母として失格の事例が多く報告されている。それらの父母と比べて見れば、私の両親が如何に優れていたか、よく分かる。自分の学業成績が人並み以上だったのは、素晴らしき親のお陰以外の何ものでも無い。価値は絶対では無く、比較である。相対的に私の両親は優秀な方だったことは間違いなかった。また私が小さい時は、よく世話をしてくれものだ。人間や物事を相対的に判断することは、欠いてはならない重要な視点だった。絶対完璧な父母なんて神話である。居る筈もない。
 振り返ると、過去の友人や恋人に対しても、自分勝手な評価を押しつけたことを思い出して、大いに悔やんだ。後で考えれば、友人は良い面を沢山保った人間であり、別れた恋人は美人でスタイルも良い最高の人だった。
 自分の考え方の間違い故に、父母に迷惑を掛け、また多くの友人恋人を失ったことは、今にしてみれば、取り返しの付かない痛恨事であった。
 要するに、全く当然のことだが、人間は色々な角度から多面的に、また他と比較しながら相対的に評価しなくてはならないと言うことである。70歳過ぎて、やっとこんな事を理解する自分に呆れた。
 この考え方を知らない訳では無かった。多くの物の本にも書いてあったと思う。この類いの文章を読んだことは何度も何回もあったが、その意味を心から理解することが出来てなかった。
 100点満点の人間ばかり、自分の周りに置こうと思ったら、それは結局、And then there were None. (そして誰もいなくなった) クリスティの推理小説になってしまう。
 自分が親になって初めて、生まれた子供を10歳まで育て上げるのにどんなに大変だか、思い知ったものである。育ててくれただけでも、親に感謝すべきだったのだ。
 元横綱の三代目若乃花が良いことを言っている。
「生んでくれただけでも感謝してます」
 その弟は母親と20年近く、今でも絶縁状態らしい。
 それはともかく、実にお恥ずかしいが、自分に厳しく他人に対して寛容であれと言うこと、他人の気に入らない行為や言葉を見逃してやる度量を持つ、と言うことを70歳頃になって、遅すぎたが、やっと悟ったと言うことである。
 「孝行したい時に親はなし」とはよく言ったものである。この諺が人口に膾炙、世間に流布して居るのは、うまく行かない親子関係が世に、いかに多いかを物語っている。
 とは言え、そう気づいてからも父母の墓参は稀にしか行ってない。それはもう恨みでは無くて、単なる面倒だからである。
 だから、自分の至らなさに気づいてからは、それまで暗い部屋に置いてあった父母の位牌を私の書斎の本棚に持って来た。そうして毎日二人を眺めている。合掌。


ただ一度の出会い
Zさんとの出会いは柔道大会であった。Zさんが柔道の審判員として、その大会にやって来たのだ。私は大会の世話係であった。年齢は私とほぼ同じ位ではなかったかと思う。短髪の如何にも柔道選手らしく、精悍な感じだったが、何処か暖かみのある人だった。
 午前の部が終わり、昼休みに弁当を食べていると、Zさんがすぐ隣に来て座った。色々話を聞いていると、外国にも柔道の指導で何度も言ったことがあるという。
「Note how I do」 と言って、技の実演などをしたという。今は市の警察署に勤務しているらしい。午後もテキパキと審判の仕事をしてくれた。大会の後は、慰労会があるので、是非とも、お出で下さいというと、快諾してくれた。もっと色々な話を聞きたかったのである。
 慰労会では更に打ち解けて、海外での生活やら仕事の話、柔道の話をしてくれた。こんなに良い人が居たのかと、内心は驚いたものである。
 と言うのは、柔道の審判に来る人は、柔道が強いせいか知らないが、何処か傲慢な構えをしている人が多かったからである。
 ところが、Zさんは尊大な素振りは全く見せなかった。生まれ持った人柄なのだと思った。こんな人には、ぜひ毎回、柔道大会の審判に出てきてもらいたいと思った。
 慰労会が解散になったので、帰ろうとすると、Zさんがやって来た。
「いい店があるので、一緒に行きませんか」と言う。願ったりの事なので、数人の懇意な仲間と一緒にZさんの後に付いていった。
 その店はZさん馴染みの店らしく、入って行くと、すぐにママが出てきて歓迎してくれた。他にも客が居たが、ママもZさんが好きらしく、つきっきりで応対してくれた。カラオケで歌ったり、世間話をしたり、とにかく楽しい時間を過ごした。真夜中を過ぎたので残念だがお開きにすることにした。「Zさん、また秋の大会に絶対、来て下さいね。お願いします」
「行きますよ。大丈夫です」
 夜の町に消えて行くZさんに手を振りながら、秋の大会で再会する日が待ち遠しく感じられた。
 夏が去り、秋がやって来た。事務方は間違いなく依頼状を出したので、秋季大会にZさんが必ず来てくれると思うと、早く秋の大会が来ないかと心が躍ったものである。
 ところが、大会当日、いくら待っても時間が過ぎても、Zさんの姿を見ることは無かった。そこで、多少はZさんと関係ある人に尋ねてみた。
「彼は県外に移動になりました。また外国に派遣されたかも知れません」
 そうか、そういう事情だったのか。私はひどく落胆してしまった。
 大会が終わったら、今夜もZさんや仲間とあの店に行きたいと思っていたからだ。
 あの日から、もう30年以上も過ぎてしまったが、いまでもZさんの笑顔をはっきりと記憶している。長い人生の中でたった一度、たった一日だけのおつきあいだったが、珍しいほど良い人だったので、今にして尚、その記憶は鮮明であり、私の人生航路の中で、Zさんは相変わらず燦然と輝いている。
 今頃は私と同じく古稀の坂を越えて、何処かの空の下で元気に暮らしていると思うが、もう二度と出逢う日は訪れないに違いない。


釣り
小さい頃、よく一族で釣りに行った。一族というのは従兄弟やおじさん達、それに父や兄である。当時は車も無いから、皆、自転車である。
 ある日、鏑川に行った。利根川にも負けない位の大きな川であった。従兄弟の話では,ここには大きなハヤが沢山居るという。焦る気持ちを抑えながら釣り竿を用意して、期待を込めて川に振りかざした。
 ところが、期待した割には魚は釣れなかった。私の所はどうも場所が悪いらしい。そう思って、あちこち場所を変え、移動した。すると、滝の側ですぐに三匹ほど釣れた。いずれも大きなハヤで、体側に鮮やかな色が付いていた。嬉しくなってそれから一時間ほど頑張ったが、その後はもう釣れなかった。
 昼近くになったので、持って来た握り飯を川岸の草原で食べた。手は川で一応洗った。今思うと、何とも不衛生であるが,昔は余りそんなことは気にしなかった。外で食べる握り飯はひどく美味しかった。これが釣りの大きな楽しみでもある。
 一息ついて、ふと辺りを眺めると、岸から上に続く山腹の途中に大きな農家が見えた。周りを鬱蒼とした竹藪に囲まれて、如何にも古い家である。随分と昔に立てられたに違いない。なおも見ていると、その縁側に一人の老婆がちょこんと座って,鏑川をじっと見下ろしている姿が目に飛び込んできた。
 勿論、遙か遠くだから,とてもその老婆の表情までは分からない。ところが、小学生だった私は、何か知らないが、その老婆の姿に強く惹きつけられた。
 その時の印象は上手く言い表せないが、何か子供ながらも、無性に心に感動を覚えたのだ。きっと、あの人は此処で何十年も生きてきて、この鏑川を毎日見ていたに違いない。そうして、歳を取った今、若い日々を思い起こしながら、この鏑川を眺めているのだろう。
 そんな風に感じたように思う。あれから60年近くの年月が流れたが、今でも縁側に座っていた,あの老婆をはっきりと思い出す。
 釣りの方は高校生になってからは、もう行くことはなかった。でも、夏になり、釣り糸を垂れる人をたまに見かけると、あの鏑川の情景がいつも蘇ってくる。 

 

政治家の質
森友学園問題で安倍総理は少し苦しい立場だが、これで阿部さんが退陣となると、気の毒と言うより他に言いようがない。また阿部さんの後に有能な首相も居ないから、阿部退陣となると、日本にとっても不幸である。
 しかし、連日、野党の低レベル質問に対処していると、その内,阿部さん自身、嫌気がさして辞めてしまうかも知れない。
 戦後の首相で,ここまで多方面の分野に手を尽くした人は居ないと思う。東大出の首相は瑕疵無く仕事をするが、それは官僚が作ったものである。最近になって非東大出身の首相が多くなり、個性的な政治が行われるようになったのは良いことだと思う。東大閥が崩壊したのは政治分野だけで無く、全ての分野にとって良い事だった。
 確かに東大出身者は恵まれた家庭に生まれ、小さい頃から勉強したので受験戦争には強いかも知れないが、専門の能力は、しっかり受験勉強をした事で保証されるものではない。それは例えば、東大出身の囲碁棋士などを見ればよく分かる。政治の専門能力もそれと同じ事。
 数年前の東大卒の首相には日本中が呆れたものだ。今も中国辺りに行って妙な政治活動をしているようだが。
 それにしても、阿部さんの後に、有能な政治家が居ないのは大いに憂慮すべき事だ。
 ところで、地方の政治家を見ると、質の低下がひどすぎる。地方の政治家も含めて、政治家に立候補する人には,最低限の教養試験を課した方が良いように思える。政治家も専門職である。およそ専門職で何も試験が無いのは珍しいだろう。
 さて、小池知事の失速が始まったようだ。豊洲問題で都議会選挙を戦いために,いつまで経っても豊洲問題をわざと解決しない小池知事に世間が、いよいよNOを出し始めたと言うことだ。
 諮問機関である専門家の委員会が豊洲は科学的には問題ないと言っているのに,それに一向に耳を傾けない小池氏には何か石原氏に対する怨念深さを感じる。厚化粧の大年増が未だに腹に据えかねているらしい。前任の知事を百条委員会に引き出すなどは、お隣の韓国の引退大統領が決まって刑務所に行くのを思い出させた。
 大体、行政は責任の連続性が無ければならない。前任の知事に不手際があったとしても、それについて謝罪するのは後任の知事の仕事なのである。即ち、東京という法人が連続して政治を行っている訳である。
 これは国でも同じ。お隣の韓国は次の大統領になったら、日韓合意を破棄すると言っているらしい。大統領が替わる度に、以前結んだ条約を破棄していたら、韓国と国際条約を結ぶ国は,どこにも居なくなってしまうことだろう。条約を守る意思が無い国と、条約を結んでも意味が無いからである。
 豊洲移転に瑕疵があったとしたら、現知事が都民に謝罪して、迅速に修正行動を取るべきなのである。都議会のドンに戦いを挑んでいる時には小池氏に追い風が吹いたのは当然だが、それを自身の人気と勘違いしたところに小池氏の躓きがあったように思う。
 石原氏の言うことにも大いに一理はあるので、もう都民は小池氏一辺倒にはならないと思う。
 大体、東京の都心近くの何処を掘っても有害物質は間違いなく出て来ることだろう。今の築地も調査すれば豊洲と同じようにベンゼン等が出て来ると思う。それは戦後70年の開発を見れば当然のことである。
 もう豊洲移転延期の理由は何処にも無い。今はもう、豊洲問題よりも東京に喫緊の政治課題に小池知事は早急に取り組むべきである。 
 それにしても,人の世はいつまで経っても争いの連続である。これが生き物の宿命なのであろうか。余命幾ばくも無い年寄りには、段々と人の世の争いが、より醜悪なものに見えてくる。
 しかし、他の動物を殺して、それを食べて自分は生きる、と言う生命の原理は変える訳に行かないから、動物である人間の争いも永久に終わることは無いのだろう。 


股関節体操
若い時から股関節の具合が少し悪かったのだが、昨年辺りから歳を取ったせいか、一層ひどくなってきた。座る時ですら不快感を感じるようになったのだ。
 それで、整形外科に行こうかと思ったが、どうせ碌な医者は居ないと思ったから、自分で治療方法を考えることにした。
 と言うのも、以前、顎関節が異常になった時、やはり自分で考えた方法で完治した経験があったからである。中学三年の時、妙な癖が付いて止められなくなった。歯を舌で弄ぶ癖である。専門語では舌弄癖と言うと歯科医に教わった。三十歳位の時、寝ながら本を読んでいて,この癖を無意識にしていたら、初めて顎関節の異常が起きた。その日以来、顎関節がガクガクするようになった。やがて片方の顎関節が少し外れている感じすらも出てきた。
 それで困って、整形外科や歯科医に行ったが、何処も治療手段は無しだった。中には精神安定剤をくれた医者も居た。今でも事情は同じだと思う。顎関節治療の看板は出ていても、精神安定剤を出すのが関の山だろう。
 困っていたが、ある日、歯の治療で市内の歯科医に行った。長年、炎症を起こしていた奥歯に嫌気がさして抜きに行ったのだ。もうボロボロの奥歯だったので、歯科医は慎重に治療手段を見極めたが、結局、すぐに抜いてくれた。
 その時、歯科医との何気ない会話が天啓を与えてくれた。何かの折に歯科医が言った。「上の歯と下の歯が,直接触れる機会は通常は有り得ません」
 食べ物が口中にあれば、それは確かにそうだ。しかし、食べ物が無い時にも上下の歯は触れ合わないのだろうか。確認すると、上下の歯は、普通、紙一枚空いているか、ごく軽く接している程度が正常だと言う。
 もしかすると、長年の癖で私の顎関節の軟骨が力を受けて変形し、それで顎関節の異常を引き起こしたのかも知れない、と直感した。
 私は、いつも歯をしっかりと触れ合わせて口を閉じていた。時には強く噛んでいることもあった。それが普通であり、正常だと思っていたのだ。
 途端にアイディアが閃いた。
 顎関節が外力により変形したのであれば、その力を排除してしまえば、軟骨なのだから、自己修正機能が働いて顎関節は自然に修復されるはずである。
 その日から、口を閉じてる居る時も,紙一枚,歯と歯の間を空けるようにした。
 効果は徐々に現れて,三ヶ月後にかなり良くなり、半年後にはほぼ顎関節の不具合はすべて消失した。一年も経つと、もう全く不具合は何処にも見られなくなった。
 いまでも,あの歯科医にはすごく感謝している。
 
 で、股関節の戻るが、要するに、股関節の位置がずれているのだと仮定した。
 それで、修正運動としては、朝起きた時、仰向けになり、両手で膝をしっかり閉じて、それを両腕で腹の方に強く惹きつけるようにした。膝を開かないことが肝心。これを10回から20回する。それだけである。
 寝る前に、思いついてすぐ、その夜、この股関節体操をやった。すると、翌朝、何の違和感も無く立ち上がったのには驚いた。毎朝、腰に何らかの違和感を感じていたのだ。驚異的効果だった。
 翌日から,股関節異常は全く感じなくなった。これは私自身、嘘の話としか言いようがない。しかし,紛れもない事実なのだ。
 つい数日前まで尻が痛くてまともに座れなくて、座布団を何枚も買ったり、三万円をする大きな座椅子を買って対応していたものである。
 股関節は柔道をやっていたせいもあって、若い頃から時々、変だったのだ。それが翌日には完全に治ってしまった。勿論、一年後の今現在、股関節の異常は、もう何処にも見られない。
 
 さて,これからが本題である。今までの話は助走である。
 退職してから夜間頻尿に襲われるようになった。ひどい時は夜中に五回も起きることがある。一時間半おき位にトイレに立つ事になる。年寄りになると,誰でも頻尿や尿意切迫感があると言うが、これもなかなか苦痛の症状である。
 頻尿を我慢していると、三ヶ月くらい経つと治る場合もあった。今回も一ヶ月半経過してもなかなか治らないので、何か上手い治療法はないものかと考えた。
 市販の薬はノコギリ○○を試したが,何の効き目も無かった。他の薬も多分同じようなものだと思う。断っておくが、これは私のみの体験であり、その薬が効かないという意味では無い。
 ある日、人間の体は一生死ぬまで修復される,と言う記事を読んだ。七年で人間の体は全て入れ替わるらしい。当然である。修理しながら使わなければ、臓器にしても忽ち使えなくってしまうだろう。それは機械の常識から言って当然である。
 ならば、人間の体を修復はどのように行われるのか。それは血流が栄養分、即ち,修復材料を組織に運んで、修理するしかない。
 となれば、その組織への血流を盛んにすれば、その分、修復が盛んに行われる筈である。
 頻尿は腎臓機能劣化と判断して、それならば、腎臓への血流を盛んにする運動をしたら、その修復は短期間に行われないとしても、腎臓機能向上に良い結果が得られるかも知れないと思った。  
 それで腎臓体操を自分なりに考案してみた。体側捻転運動を150回する。両腕を体を中心に振り回す運動である。腕はついでであって、主眼は体側を捻る事である。これで腎臓付近の血流を盛んにしようと言うことである。
 さて、その夜は腎臓運動をして10時に寝た。いつもなら11時半くらいにトイレに起きる筈である。それが起きたのは午前1時半。三時間半も寝ていた。その後は5時に起きてトイレに行った。
 翌朝も腎臓体操を150回。寝る時に150回。結果、その夜もほぼ同じく三時間半も寝ていた。昼間の尿意切迫感も消えていた。下腹部および息子が何か軽くなって楽になった感じである。
 とは言え、まだこれは長い年月が経っていないので、有効性を証明するには時期尚早である。少し経過したら、またその後を報告したいと思っている。
 年寄りには次から次へと、妙な病気がやって来るが、それは宿命で仕方ない。知恵を絞って,それへの対処法をこれからも考える事になるようだ。



如才ない
先日、友人と東京の神社で写真を撮っていたら、不意に背後から声がかかった。振り向くと、若い女性であった。それもなかなかの美人である。
「あの、シャッター、押しましょうか」
 見も知らぬ人によく声をかけられるなと思った。これはきっと勇気ある女性なのだろう。しかも、相手は男二人である。女性の顔は善意に満ちていた。
「いや、いいです。爺さん達ですから。新婚さんでもないし」
 私の口から出たのは断りの言葉だった。必死に笑顔を保ちながら去って行く彼女を見て、私はすぐに後悔の塊となった。これは何という愚かな深慮のない応対をしたものだ、と。 
 嘘をつくのは良くないと、幼児の頃から教わってきたので、今までの人生でも自分の気持ちに忠実だったと思う。しかし、それは全面的に正しく適切かというと、どうもそうでは無いようだ。今回の件で、はっきりと確信した。
「そうですか、いや、ちょうど今、シャッターを押す人が居ればなあ、と思っていたんですよ。それは有り難いです。どうぞ、お願いします」
 こう返答し応対するのが、一番正しかったと思う。そうすれば、若い女性も喜んで気持ちよく去って行くことが出来たに違いない。
 ともかく、此処は若い女性の好意を最も尊重しなければならない場面であったのだ。確かに、断るのが私の気持ちとしては一番正直である。シャッターを押して欲しいとは些かも思っていなかったのだから。しかし、その結果、勇気ある若い女性はひどく落胆したことだろう。他人様の好意を無にして良い筈が無い。
 こんな場面で、極めて適切に振る舞える人を如才ない人と言うらしい。私の人生で欠けていたものは、正に此処にあったと改めて気づいた。
 自分の気持ちに正直というのは、悪く言えば、単なる我が儘ともいえる。こう表現すれば、正直と言うことにそれほどの価値は無いと明確に分かる。
 正直であるべきは、一応、普遍的真理ではあるが、状況によっては、更なる上の真理があると言うことだろうか。
 とはいえ、これも相手次第である。余り印象が良くない人であれば、シャッターを押しましょうか、と言われても、素直に頼む気にはなれない。そんな時は自分の気持ちに正直が正解かもしれない。
 思い返すと、今までの人生でも、自分の正直で、他人様を不愉快にさせてきたことが多かったのかもしれない。古希を過ぎると、色々と価値の再考をするときがある。
 で、蛇足だが、神社を散策していると、女子大生らしき超ミニスカート、おまけに飛び切りの美脚が目の前に現れた。私も友人も思わず、見とれてしまった。脚の長さといい、肌の白さといい、こんな美脚は我が人生で今まで見たことが無かった。
 暫く、目が釘付けとなって行動の自由を失った。若いカップルである。男の方はどんな格好をしていたかは、よく思い出せない。と言うか、殆ど見なかったのだろう。カップルが神社を出て、神田明神の方へ坂道をゆっくり上って行くまで身動ぎも出来なかった。あんな女と一緒だったら、男はどんなにか幸せだろうと思った。
 ホテルに帰り、夕食を食べている時にも美脚が目前に舞って、箸先が狂った。寝ながら、また昼間の美脚を思い浮かべた。暫く考えてる内に、別の視点が浮かんできた。あの女の彼氏は、ほんとに幸せか。
 町を歩けば、町中の男があの美脚に引きつけられることだろう。傍にいる男はどんな思いか。底知れぬ優越感に浸っているのだろうか。そうかも知れない。でも、私は、自分の彼女にあそこまで短いスカートを町中で穿いてもらいたくないと思った。それは雄としての男の本能だと思うが、雌は自分のものだけにしておきたいからだ。あの美脚は他の雄には見せたくない。
 あのカップルの男だって雄だ。内心は、そう思ってる筈だ。しかし、女の服装に文句も言えないから、黙って我慢しているのだろう。そうなら、あの男は少しも幸せでは無い。何だ、そういう事か。
 睡魔が迫ってくる中で、私の論理は危うくなっていたが、最後は満足のいく結論を得て、ひどく安心し、すぐに寝入ってしまったらしい。 



中学の恩師
昨日のお悔やみ欄を見たら、中学の恩師が92歳で亡くなっていた。中学時代に出逢って、昨日までが一瞬に過ぎ去ったように思えた。恐らく、私の臨終のベッドで過ぎし人生を振り返る時、同じように人生があっという間に過ぎ去ったな、と思うに違いない。
 十数年前、私が中学校に奉職していた時、何かの折に恩師がやって来た。確か、記念樹か何かの事だったと思う。暫くぶりに見る恩師、確かに歳はとっていたが、そう変わらぬように見えた。あの当時、70歳を少し超えた頃だったろう。暫く話している内に、不意に言った。
「僕らの歳になると、もう明日とか、これからとか、将来は、と言う言葉は無いんだよ」
 若い頃はなかなか明朗闊達な人であったから、恩師から、そのような後ろ向きの言葉が出てくるとは思ってもいなかった。老後も矍鑠として楽しんでいるのではないかと推察していた。その言葉から察すると、どうも少し違うようだった。
 今にして思えば、当時、恩師は多く人と同じように老後の生活にやはり色々と煩悶していたに違いない。自分自身が退職し、老後の生活を体験してみて、初めてそれがよく分かった。
 60代の内は嘱託なり何なり仕事があって、日々の時間は過ぎていく。そうしてそれは心の憂いを忙しさの中で忘れさせてくれる。ところが、古希を超えると、全くのフリーとなる人が殆どだろう。人生は完全無職になった時からが、本当の人生かも知れない。
 今まで仕事と言うことで、上からの指図で動いていた人間が、自分で日々の時間を計画して過ごさなければならなくなるからである。途端に、組織の歯車だった男は生きる方向を見失ってしまう。肩書きも居場所も何も無くなってしまう。権威にすがって生きて来た人ほど、職を失ったときの動揺は大きいようだ。
  
 恩師の70歳から92歳までの22年間は決して短くは無かったろう。幾多の困難に遭遇した筈である。また加齢による身体の不具合はそれに拍車を掛けたことだろう。元気なときなら、多少の困難も体力知力に任せて乗り切ることが出来るが、老人はそうは行かない。しかし、あの恩師のことだから、叡智を駆使し、様々な試行錯誤の結果、果敢に人生の困難を乗り越え、92歳と言う高齢に達したと拝察する。恩師を見習い、私も90歳の大台を超えて行きたいものと思う。
 恩師の死は悲しむべきでは無い。そうではなく、我が恩師の大往生に尽きぬ拍手を送りたい。

 先日、新しいパソコンを大金を投げ打って購入した。20万を超える買い物は老人にとって大冒険である。
 パソコンは新旧併せて五台持っていたが、やはり古くなるとそれなりのものになってしまう。とは言え、年金生活であり、72歳の身では買ったところで使えるのは数年である。いや、明日にも人生が終わってしまうかも知れない。となれば、買うこと自体が無駄である。老人には新しいパソコンなど無用である。そう考えて、一旦は諦めた。明らかに無駄な買い物だからだ。
 すると、新聞に渡部昇一氏の訃報が載った。86歳だったかと思う。この人の著作は殆ど読んだことは無かったが、ずっと以前の月刊誌に印象的な記事があった。
 それは、渡辺氏が81歳位の時に、自宅の書庫が満杯になったので新しい書庫を建築するかどうか迷った、と言う記事であった。81歳ともなれば、普通は作っても仕方ない、と言うのが相場であろう。事実、そう考えて最初は作るのを躊躇していたらしい。ところが、後になり、急に考えが変わって書庫を新築したのである。そうして、建築した後で、作って良かったと喜びの感想を述べていた。
 新しいパソコンも同じかなと思った。身の回りの物を不要だと思えば、確かに老人には新品はもう不要である。しかし、それなら、パソコン以外の多くの物も、皆、不要になってしまうのではないか。
 幾ばくも無い老人の人生に於いて、不要だと思えば、みんな不要なのだ。
 この考え方はどうも、人生否定の臭いがすると思った。こんな思想では生きている事自体が不要になってしまいそうだ。 
 これは、多分、間違った思想だろう。渡辺氏の方が正しいと思った。明日、死ぬかも知れないが、新しい書庫が必要と思えば、新築するのが良いのだ。生きてる限り、人生を幾ばくも無いと考えるのは間違いだろう。明日、死ぬと分かっていても明日の予定は立てておくべきだろう。
「明日、地球が滅ぶとも、私はリンゴの木を植える」 と言う言葉を思い出した。
 確かにリンゴの木を植えることは無駄かもしれない。でも、植える人間の方に私は賛成したい。そう、この流儀で人間は生きなくては。

 本当はパソコンを買いたくてたまらなかったのだろうが、渡辺氏の強力な援軍理論で、私は不退転の決意すると、すぐさま電気店に直行して真新しいパソコンを買った。もちろん、同居人には一切、何も言っていない。女性に高邁な理論は無意味そのものである。
 立ち上げてみると、さすがに新しいパソコンの動きは軽快であった。恐らく、パソコンを操作出来るのは、あとこれから、そう長くは無い。だとしたら、まだ目がよく見える今、買ったのがやはり正解だったろう。購入した理由が更に強固になった。
 明日も明後日も人生はずっと続くと信じて生きるのがいい。
 とは言っても、体の彼方此方が痛んでいるのは十分承知している。父親が95歳、母親が85歳まで生きたから、当方もそれほど短命ではあるまい。



東京駅その1
 東京駅には色んな思い出がある末の娘とはよく此処で待ち合わせたものである。今でも東京駅に行くと、その雑踏の中から末の娘が手を振って笑顔で駆け寄ってくる姿を見ることがある。勿論、錯覚である。
 その末娘が結婚する時、相手の人と四人で東京駅前の新丸ビルで初めて会うことになった。どんな人が来るかと、ひどく心配していたが、娘が選んだ人だから、どんな人でも仕方ないと思っていた。逢ってみると、それなりに良さげな人だったので胸を撫で下ろした。
 娘を持つ男親は、人生の中でこの瞬間が一番緊張すると思う。相手次第で娘の人生が決まってしまうからである。
 
末娘の義父となる人と初めてお会いしたのも、東京駅である。その地下にある、銀の鈴で待ち合わせた。どんな人が来るのかと、相当な不安と共に待っていた。良い人でないと、娘の今後が心配である。あちこち眺め回していると、程なくして、近くを通りかかった年輩の紳士が不意に問いかけてきた。
「川嶋さんですね」
「そうです。Mさんですか」
 末娘がMさんの私の写真を送付していたので、それで私がすぐに分かったと言う。それから、近くのレストランに行き、挨拶を交わした。どうやら、とても良い人らしいので、私は一安心した。それに加えて技術系の人らしかったので、それもまた安心材料になった。私と多分、色んな話が出来るだろうと思ったからである。 Mさんは金属粉の応用が専門とのことで、トンネル工事の大型掘削機のドリル刃を製作してるらしかった。鋼鉄板にどうやってダイヤモンドを付けるのか、いつか是非、彼に聞いてみたいと思った。
 その後、末娘は10月に知多半島で結婚式をした。結婚式の翌日、Mさんが知多半島を案内してくれた。海沿いの道をあれこれ説明しながら、車は快適に疾走した。やがて潮の匂いがする、海浜近くの食堂に着いた。そこはMさんがよく来る店だった。その店で食べた茎昆布の美味は未だに鮮明である。
 知多半島一周の後、それから、わざわざ遠くの名古屋駅近くまで送ってくれた。駅の駐車場から背伸びするように手を振るMさんの姿を今でもはっきりと思い出す。帰途の新幹線の中で、良い人と出会えてほんとに良かった、と心からそう思った。
 正月が来て、Mさんから年賀状が来た。良縁に巡り会えて感謝しております、とあった。正直に言うと、その賀状を見て何か不吉なものを感じた。それは真っ黒な賀状だったからである。もう少し色彩があっても良かったと思った。いや、単にプリンターのインクが切れていたのだろう。
 その年の夏が終わり、11月。初秋の気配が漂ってきた。私がスーパーの駐車場に居ると、末娘から急に電話がかかって来た。
「夫の父が亡くなりました」
 聞いてすぐに意味がとれず、確認を返した。亡くなったらしい。ほんとなのか。 電話が終わると、良い人は早く亡くなってしまうのか、と思った。もう掘削刃の事は聞けなくなってしまった。早く聞いておけば良かった。
 神戸の地は遠く、葬儀には行けなかった。弔いが出来ないのが心残りであった。やっと三年後、年寄り夫婦は意を決して神戸に向かった。神戸の自宅に行き、弟さんに案内してもらって菩提寺に行った。墓は海岸近くの高い山の上にあった。そこからは遙かに広がる瀬戸内海が一望出来た。海の見える丘で彼は永遠の眠りについていた。秋の瀬戸内海を眺めながら、私は彼の一生は偲んだ。きっと、Mさんは早く奥さんのところに行きたかったに違いない。
 聞けば、彼は45歳位の時に奥さんを亡くしている。それから一人で子を育て上げてきたのである。二人の子供達がすべて仕上がり、これから楽をしようとする時の死である。62歳だった。
 神戸の自宅で、彼の弟さんが、いくつか彼のアルバムを見せてくれた。その中にあった彼の奥さんの写真を見た時、私は思わず、声を上げそうになった。
 その女性と、何処かで逢った記憶があったからである。確かに出逢ったことがあると思った。しかし、それが何処なのか、どうしても思い出せなかった。
 恐らく、他人の空似だろう。でも、そうは思えなかった。きっと何処かで出逢ったのだ。それだけに、小さな子供を残して亡くなった彼女の気持ちを思うと、アルバムを持つ手が震えて来た。写真から彼女の声が聞こえてきた。
 Mさんと会ったのは東京駅、結婚式、その翌日、たった三度だけである。



東京駅その2
 学生時代、東京駅で友人達と待ち合わせたことがある。親しかった友人のMが九州旅行に行かないかと、誘ってくれたのだ。Mとはよくテニスをしたり、旅好きなMが旅先から報告をよこしたりすることがあった。だから、すぐに承諾した。 暫くして同行のメンバーは、Mの彼女と、もう一人の女の子だと分かった。その女の子はよく知っていたし、良い子だったから行くのが楽しみだった。
 予定が決まり、東京駅で待ち合わせをすることになった。
「じゃあ、川嶋、当日は東京駅で待ち合わせだからな」
 Mの言葉に私は即答した。
「大丈夫、間違いなく行くから」
 当日になり、私は上野駅で降りて、指定されたホームでひたすら待った。10時位になってもM達の姿はどこにも見えなかった。
「どうしたのだろうか。あのMが約束を破る筈はあり得ない」
 定刻を過ぎてしまうと、もう仕方ないと思った。それにしても切符が勿体ないので、私は一人で九州旅行に行くことにした。
 その時、私はすっかり錯覚していたのである。東京駅と上野駅を間違えていたのだ。その理由は分からない。勝手に思い込んでしまったのだろう。秋葉原には電機部品を買いによく行っていたから、上野駅と思ってしまったのだろうか。
 一人旅の九州は色々な出会いもあって楽しかったが、複雑な気持ちだった。
 大学に戻ってMと会った。開口一番、Mは叫んだ。
「どうしたんだ、東京駅で待ってたんだよ」
 すぐに私は自分のミスに気づいた。しかし、Mは特に私を非難するような態度は見せなかった。いつものように穏やかなMだった。それが却って私の心を苛んだ。今思い出しても不思議なことに、そんなひどいことをしたのに三人に謝罪した記憶が全く無いのである。学生とは言え、土下座をして謝罪するべきものだった。
 Mは、その時の彼女と結婚したから、もし、私が九州旅行に行っていれば、私も同行の女の子と結婚したかも知れない。良い子だったから本当に惜しいことをしたものだ。これが人生の岐路というものだろうか。
 50年前のことで、もう過ぎ去ってしまったことだから、どうでも良いようなことなのに、未だに思い出すと、申し訳なく胸が疼くことがある。
 さて、大学を卒業してからは会うことも無かったMだが、40歳になる前に、突然、他界した。確か、死因は肺がんと聞いた。タバコか好きだったから、そのせいかもしれなかった。
 棺の中に横たわるMの顔には安堵が漂っていた。いつも穏やかな男だった。 二人は、どこかお互いの価値を認めあっていたから、もし私が東京駅に行っていれば、長い友情が生まれていたかも知れなかった。
 葬儀当日、小高い丘に設けられた、広い葬儀場には教え子の女子高生達が沢山来ていた。桜の花と、花にも負けない女子高生達の姿、そんな華やかな季節に、Mがこの世を去ったとは到底、信じられなかった。この晴れ渡る春の碧さ、そんな時にも人は死ぬのだろうか。
 小さな子供を抱き、傍らには父の死を知らぬげに駆け回る元気な男の子、彼の妻の姿が痛ましく感じられた。徹底した保険嫌いの私だったが、翌日、初めて保険屋さんに電話をした。
 

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